太田家住宅 人吉球磨の民家の象徴的鉤屋

太田家住宅とは、人吉球磨の住宅建築を象徴する建物として保存展示されている古民家です。

太田家とは?

太田家の先祖は、鎌倉時代に相良氏の下行に同行してきた武士です。

江戸時代には人吉城下に居住していました。

のちに多良木町中原(なかばる)に屋敷を構え、農業と酒造業を営んだと伝えられます。

幸野溝の完成により新田ができ、集落化したのが東方村です。

現在の湯前町西部から多良木町南東部が東方村にあたります。

中原(なかばる)は、この東方村にあります。

天神社や稲荷社、観音堂、福田寺がおかれており村の中心地でした。

1789年に東方村は3分割され、湯前村、久米村、多良木村に併合されました。

相良藩の規制

全国的にみて、人吉藩では家づくりの規制が厳しかったといいます。

上級武士以外は小規模な住宅に住むよう制限されていました。

人吉藩の領内に鉤型の家が多いのは、こうした制限下で住宅の部屋数と規模を拡大するために鉤型に棟を伸ばす方法がとられたためといいます。

住宅の特徴

建築時期は江戸時代末期、1856年頃に博多の大工によって建てられたといわれます。

建物は寄棟づくりです。

梁行寸法が三間(6m)よりわずかに短く、制限内で広さを確保する工夫をしています。

屋根を折り曲げた型の民家では、発展した形態を示しています。

これは、焼酎製造の作業場を広く確保するための工夫と考えられます。

人吉球磨地方の鉤屋の民家を代表する建物と評価されています。

1973年(昭和48年)国の重要文化財として指定されました。

2015年(平成27年)日本遺産人吉球磨の構成文化財24番となっています。

場所 熊本県球磨郡多良木町多良木447-1