乙姫女神像というのは、熊本県山鹿市の天岩戸岩陰遺跡にある像です。
いったいなぜ、山間の農村に人魚像があるのか、とても気になるスポットです。
珍スポット
乙姫女神像があるのは海とは縁遠く、田の神さまや山の神さまがテリトリーとするような場所です。
なのに、なぜか女神像は人魚の姿をしておられます。
現地の説明板によると、藤田妃見子 (ひみこ) 女史が、お告げにより天岩戸(あまのいわと)の扉を開いたとあります。
すると、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が、人魚姫のお姿で躍り出られたとあります。
乙姫女神像はこれを再現したものといわれています。
ただし、この伝説は日本神話の中ではなく、1973年 (昭和48年) のことです。
もともとの神話を上書きしようとする、新しい天岩戸伝説です。
天岩戸伝説
天岩戸というのは、古事記や日本書紀に登場する、岩でできた洞窟のことです。
素戔嗚尊(すさのおおのみこと)の横暴に怒り、太陽神である天照大御神は天岩戸に隠れてしまいます。
世の中が真っ暗になり、天照大御神を外に出そうと、八百万の神は集まり策を練っています。
乙姫女神像の洞窟は、地元では古くから天岩戸とよばれていました。
藤田妃見子女史
藤田妃見子氏は、天岩戸の扉を開いた当時、古田シズヨ氏でした。
「12000年の時を経て、天岩戸から現れた天照大御神が、 自らと合一された」と述べています。
のちに藤田妃見子と改名し、「女神の海」 という宗教団体を設立しています。
天照大御神=龍宮の乙姫であり、自らを「現代の乙姫」とし、マスコミにも登場していました。
邪馬台国の卑弥呼やムー大陸の女王の再来ともいわれ、1970年代に話題となっています。
つまり、乙姫女神像は藤田妃見子氏自身を現しているといえます。
天岩戸岩陰遺跡
乙姫女神像のある天岩戸は、開口部 11.5m、奥行8mの洞窟です。
1974年 (昭和49年)から県が調査した結果、縄文・弥生時代の土器が発見され、埋葬人骨がみつかっています。
ついた遺跡名は 「天岩戸岩陰遺跡」です。
天岩戸(あまのいわと)神社は、宮崎県高千穂町にある神社です。 岩戸川をはさみ、東本宮と西本宮が鎮座しています。 由緒 東本宮の上流にある天岩戸は、日本神話の天岩屋(あまのい[…]
天岩戸伝説ゆかりの地は全国にありますが、九州の人がイメージするのは、ほぼ宮崎県高千穂町の天岩戸です。
そして、神話の里・宮崎県といえば、令制国時代の国名は日向(ひゅうが)です。
天岩戸岩陰遺跡あたりの地名が、日向(ひむき)なのは偶然とは思えません。
場所 熊本県山鹿市菊鹿町山内
関連記事
【関連記事】石のかさぐるま 本当に風でまわる九州唯一の石造風車
【関連記事】海の乙女像 大堂津駅前でポーズをとる渚の人魚は漁村の守り神
【関連記事】枕崎マーメイド 駅前ロータリーから旧港へ移動した人魚像のモニュメント