柴立姫神社 子宝や安産・下半身の病気・婦人病・精力増進の神様
人吉街道沿いの直立する男性のシンボルが目印です。子宝や安産、下半身の病気、婦人病の神様ですが、男性の下の神様としても崇められています。つまり、精力増強です。言い伝えをきいて、はるばる遠くからお参りに来られているのだそうです。
人吉街道沿いの直立する男性のシンボルが目印です。子宝や安産、下半身の病気、婦人病の神様ですが、男性の下の神様としても崇められています。つまり、精力増強です。言い伝えをきいて、はるばる遠くからお参りに来られているのだそうです。
新宮寺観音は相良三十三観音霊場の32番札所となります。周辺は樹齢を重ねたモミジやカエデ、イチョウなどがあり、新緑や紅葉のスポットとしても知られています。 観音堂にはそれぞれ違った仏師が、年代を追い彫作した六観音が安置されています。
人吉市から県道33号線を 水上村方面へ向かって走ります。すると、あさぎり町へ入ってすぐ、球磨川沿いに奇岩が表れます。ここらへんから球磨川を見ると魚背岩が見えます。このへんの景色が夏目友人帳の聖地となっています。
合戦峰(かしのみね)観音は、相良三十三観音霊場の12番札所です。勝負ごとや競争ごとにご利益があると伝えられています。観音堂に隣接する、おシャレなデザインの物産販売所とトイレも見どころです。あの新国立競技場をデザインした建築家が設計しています。
御大師堂は日本遺産人吉球磨の構成文化財29番となります。この地区では「御大師堂」といえば湯前町の「おだいし」のことを指します。湯前町内や球磨郡内にも弘法大師像はあります。しかし、地名や冠名をつけずに「御大師」といえばここを指します。
このダムの面白いところは、直線距離で3㎞のところにある「油谷ダム」とセットで運用されるところです。落差490mを利用してタービンを回します。そして、また揚水して何回も繰り返して水を利用するしくみみたいです。ダムカードは残念ながら発行されていないようです。
石室(いしむろ)観音堂は、相良三十三観音霊場の7番札所となります。もとは石室寺のご本尊でしたが、原田喧嘩により石室の名前と観音さまだけを残し廃寺となってしまいました。現在は、石水寺という大きなお寺の一角にお堂が残されています。
嵯峨里(さがり)観音は、相良三十三観音霊場の6番札所となります。ご本尊は、十一面観音坐像です。家を火災から守り、子どもの健康と幸せを守ってくださる、ありがたい観音さまです。江戸時代中期の作とされ、1752年に豊前中津の仏師が彩色しています。
八代市東陽町といえばかつて、種山石工といわれる石工の技術者集団のいたところです。町には多くの石橋が残っています。夏目友人帳の聖地「笠松橋」もそのひとつとなります。東陽村に限らず九州各地に種山石工の作品は現存しています。
十島観音は、相良三十三観音霊場の14番札所となります。観音堂の由来となる蓮花院では、1627年に一向宗の信徒がいたことが発覚し大事件となりました。薩摩藩や人吉藩では一向宗を禁止していて、信者の家からは仏像仏具が押収され、十島菅原神社で焼却されました。
湯前駅は、くま川鉄道湯前線の終点です。終着駅であり、始発駅です。湯前線の開業時からある駅の中で、当初の姿を残す唯一の駅となりました。国鉄時代はホームに収まりきれないほど連結した車両が入線し、門司港駅直行便がありました。
蓑毛(みのも)観音は、相良三十三観音霊場の15番札所です。別名「ウトんかん」ともよばれ、長寿・家内安全にご利益があるとされています。60歳の還暦を迎えた人が、長寿と家内安全を祈り、「奉寄進」の立て旗を納める習慣が残っています。