狭野(さの)神社は、宮崎県西諸県郡高原町にある神社です。
霧島六社権現のひとつとされています。
神武天皇の生誕地
皇族のご幼名は、生まれ育った地名をつけるのが習慣となっていました。
神武天皇は、ご幼名が狭野尊(さののみこと)であり、このあたりが出身地といれています。
1915年(大正4年)に、狭野神社は、同じ神武天皇をまつる宮崎神宮の別宮となっています。
1952年(昭和 27 年)には分立、単独の狭野神社となります。
分立後も「宮崎神宮の別宮」の名は、そのまま現在まで残されています。
神殿の前に拝所を配置しているあたりは、宮崎神宮と同じつくりです。
ご祭神・ご利益
主祭神
神日本磐余彦命(かむやまといわれびこのすめらみこと)
ご幼名は狭野尊(さののみこと)、神武天皇のことです。
日向から大和へ東征し 日本国を建国した、日本の初代天皇です。
相殿神
吾平津媛命(あひらつひめのみこと)
・・・主祭神のお妃になります。
天津彦火瓊瓊杵尊(あまつひこほにににぎのみこと)
・・・天孫降臨伝説で、高千穂峰へ天下った神さまです。
木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
・・・天津彦火瓊瓊杵尊の妻となり、彦父出見尊を産んでいます。
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
・・・主祭神の祖父君です。
豊玉姫尊(とよたまひめのみこと)
・・・主祭神の祖母君にあたります。
鵜鷲草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)
・・・主祭神の父君です。
玉依姫命(たまよりひめのみこと)
・・・主祭神の母君です。
ご利益
神武天皇が日本国の祖を築いたことから、国家安寧・国家鎮護の神さまです。
事業所安全・厄除開運・交通安全 ・子供の守り神、長寿などにご利益があるとされています。
日本一長い直線参道
一の鳥居は、国道 223 号線ひむか神話街道沿いにあります。
一の鳥居からは、狭野神社まで約 1.3 kmの参道が続いています。
直線の参道としては、日本一長いものとなります。
狭野の杉並木・狭野杉
参道には杉並木が並びます。
時の領主・島津義弘公が 400年前に植えさせたものです。
もちろん、みやざきの巨樹百選に選ばれています。
南参道鳥居
さらに、表参道(南参道)駐車場のところに鳥居があります。
さらに表参道には、杉並木が続きます。
北側には北参道があり、さらに車で社内に乗り入れることができます。
仁王さま
北参道入り口の神徳神社は、狭野神社の別当寺であった神徳院に由来する神社です。
仁王さまは、神徳院の守護神です。
お一方は真剣に神徳院を守護しています。
もうお一方は、にこやかに参拝者を迎えています。
1734 年建立で、大豆の神さま・足腰の神さまといわれています。
さらに参道を進むと神橋です。
手水舎
左手に手水舎があります。
神門
ついに神門です。
拝所殿
心なしか宮崎神宮と似ているような気がします。
神殿敷地内にも狭野杉が植えられています。
神殿
拝所殿の裏は、神殿です。
初代天皇をまつるため、歴代の皇族の方も参拝に訪れられています。
西参道
西参道は、神武天皇の生誕地とされる、皇子原公園側の参道です。
いわば裏参道ですが、駐車場から社殿までは近いです。
皇子原神社
皇子原(おうじばる)神社は、現在は、狭野神社の境外末社です。
皇子原神社の場所が、まさに神武天皇の生誕地であり、狭野神社の元宮であるとされています。
一帯は皇子原公園として整備されています。
産場石
産場石(うべし)は、皇子原神社の社殿裏にある石です。
まさに、神武天皇が生まれた場所です。
石の表面をなでると、安産のご利益があるといわれています。
皇子原神社
まとめ
狭野神社は、霧島六社権現のひとつです。
他の霧島六社権現と同様に、霧島火山の噴火で、幾度の遷座を余儀なくされています。
しかし、広大な社地と歴史ある樹木や構造物が残されているのは、神武天皇の生誕地だからでしょう。
しかも、霧島連山の荘厳な雰囲気を汲む神社でした。
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