相良頼影は上相良氏(多良木相良氏ともいう)初代領主となります。
のちに代々相良家を継ぐことになる、下相良氏初代長頼は、頼影の長男にあたります。
最初に人吉球磨地域に入国したのは上相良の相良頼影であり、もともとの相良家の宗家(そうけ・本家)は上相良家でした。
相良頼影館
上相良氏は鍋城が本拠地でした。
鍋城は、現在の多良木町黒肥地の小川(こごう)地区の南東にあったといいます。
しかし、鍋城を築いたのは上相良家第2代頼氏(よりうじ)といわれています。
さらに鍋城の南に里城がありましたが、これは鍋城の外城の役割をはたしていたと考えられています。
上相良家初代頼影が多良木荘の地頭として赴き、住んでいたところが相良頼影館です。
この時期、上相良氏は在地住民に受け入れられるまで苦労したといわれています。
現在は、河川工事のため建物はなくなり、相良頼影館のあったことを示す標柱だけが残っています。
1975年(昭和50年)、河川工事を前に発掘調査が行われ、多数の遺品が出土しています。
その際の調査報告書です。
熊本県教育委員会 1977 熊本県文化財調査報告22
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/16326
蓮花寺跡
相良頼影館跡の下流100mに蓮花寺跡があります。
ことらも現在の河川敷地内にあったのですが、河川工事の際北側に移設されています。
1235年、上相良家第2代頼氏(よりうじ)が造営しています。
1448年、上相良氏の滅亡とともに廃寺となりました。
1514年、下相良家第13代長毎(ながつね)が再興しました。
1573年を最後に文献から消えているいいます。
現在は廃寺となっています。
寺内にある五輪塔や古塔碑は主に鎌倉時代から室町時代の中世のお墓です。
蓮花寺跡は、1969年(昭和44年)には熊本県の史跡となっていました。
このあたり一帯の上相良氏関連史跡は、日本遺産人吉球磨の構成文化財25番となります。