天保山(てんぽざん)公園は、鹿児島市天保山町にある公園です。
歴史は浅いのですが、甲突川の河口ということもあり話題には事欠きません。
名前の由来
天保山は、甲突川河口に堆積した土砂が広がる海でした。
天保年間(1830年~1844年)、島津斉興公が領主時代に、土砂を上げて海を埋め立てています。
このときの埋立地は、年号にちなんで天保山と名付けられています。
クロマツ林
天保山公園の周辺には、クロマツ林が広がっています。
現在の海岸線は、埋め立てによりさらに海側に遠ざかっています。
1934年(昭和19年)に行われた護岸工事の防波堤が、かつての海岸線をわかりやすくしています。
明治時代には、海岸には塩田がひろがっていたといいます。
薩英戦争の砲台跡
島津斉彬公が領主時代には、軍港がおかれます。
集成館事業で製造した、洋式艦隊の訓練が行われていました。
薩英戦争前には、砲台がおかれイギリス海軍と対時しています。
現在も砲台跡と砲弾火薬庫の遺構が残っています。
海ゆかばの碑
「海ゆかば」の碑は、鹿児島市出身の横山正治海軍少佐(1919~1941)を追悼するものです。
真珠湾攻撃のさい、少佐は甲標的で出撃し戦死されています。
甲標的
旧日本海軍の2人乗り特殊潜航艇
潜水艦の甲板に搭載され、水中から発進し湾内の敵を攻撃する
このとき甲標的で出撃し未帰還となった9名は、九軍神とされています。
共月亭
天保山公園にある中華風の東屋を、共月亭といいます。
1982年(昭和57年)、鹿児島市が長沙市(中国)と友好都市となったのを記念して建てられています。
長沙市にある中国四大名亭のひとつ、愛晩亭がモデルとなっています。
怪現象
天保山公園では、松林のなかで女性の幽霊の目撃情報があります。
甲突川でおぼれる学生が目撃され、助けるため近づくとその姿が消えるといいます。
原因として考えられる伝説や、歴史上の事実があります。
沖の村遊郭の遊女が軍人とけ駆落ちして、遊女が心中した
鹿児島大空襲戦のあと、たくさんの焼死体が流れ着いた
甲突川で学生がおぼれた
歴史は浅いのですが、甲突川河口という土地柄なのか、話題は尽きません。
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