熊本県は、全国でもアーチ式石橋が多いことで知られています。
なんと、全国のアーチ式石橋うち、96%が九州にあるといわれています。
しかも、その約半数が熊本県内にあるのです。
なかでも、多くの石橋が集中しているのが緑川流域です。
肥後の石工
肥後国の石橋を語るとき、種山石工を避けて通れません。
種山石工というのは、江戸時代後期から明治時代初期にかけて活躍した、石工集団です。
石工の職人の町があったのは、種山村(現在の八代市東陽町)です。
東陽町には多くの石橋が残っています。
地理的にも近い、緑川の流域にも負けず劣らず、種山石工の作品が現存しています。
なぜ、熊本県、特に県央地域に石橋が多いのか調べてみました。
熊本城の築城
熊本城を築城する際に、仁平といって近江国(現在の滋賀県)から近江石工の職人を肥後国に呼び寄せています。
その技術を継承したのが、種山石工といわれています。
熊本城の完成後も、棚田や用水路をつくるのに石工が必要でした。
海岸に行くと、干拓や堤防工事にも石工が活躍しています。
熊本には、石工の伝統と技術を伝えていく環境がありました。
豊富な原材料
このあたりには、阿蘇山から噴出した、溶結凝灰石がたくさんありました。
溶結凝灰岩は、火山噴出物が再溶融してできたもので、密度が高い岩石です。
雨水や水流などによる浸食を受けにくい特徴があります。
さらに、加工がしやすく石工が工作物をつくるのに適していました。
雨の多い九州
従来の木橋は、毎年洪水や台風のたびに流されていました。
再び橋を架ける間、農民は農地へ行けず、商人は商売ができずに困っていました。
そのため、洪水がおきても流されない橋が強く望まれていました。
流されない橋をつくるために、総庄屋は私財を投じ、住民は石工とともに働いたといいます。
石橋をつくるために住民の協力があったことも、石橋が多い一因となったといわれます。
石橋の里
美里町には43基もの石橋が残っています。
なかでも多くの石橋が現存する、旧砥用(ともち)町の石橋のうち主なものを見てきましたので記事にします。
砥用町の国道218号線沿いを、下流から上流へのぼってみました。
小筵橋
小筵橋(こむしろばし)は、小筵交差点から旧中央町方向へ少し入ったところにある石橋です。
かけられた年は、記録がなく明らかになっていません。
今でこそ小道にかかる橋ですが、釈迦院へ向かう生活道路として重要な役割を、永年果たしてきました。
場所 熊本県下益城郡美里町小筵
二俣橋
釈迦院川と津留川の合流点にかかる双子橋です。
L形に連なる2つの橋を合わせて、二俣橋(ふたまたばし)といいます。
釈迦院川にかかるほうを「二俣渡」、津留川のほうを「二俣福良渡」とよんでいます。
二俣渡が 1829年、二俣福良渡が 1830年に完成しています。
恋人の聖地
二俣橋は最近、恋人の聖地として人気スポットになっています。
二俣福良渡の中央あたりから二俣渡をみると、川面に映る橋のシルエットがハート型になるそうです。
「車道と並んでいる橋のほうから、車道のない橋のほうを見る」
と覚えておけばいいかもしれません。
ただし、ハート形のシルエットを見るには、気象条件があります。
期間 | 10月~2月 |
時間 | 11時30分ごろから12時30分ごろ |
天気 | 晴れ |
きれいなハート形ができる時間は、数十分程度です。
また、時期によって時間帯は変わります。
真冬のよく晴れて、濃い影ができる日がベストといわれています。
場所 熊本県下益城郡美里町小筵
年祢橋
年称橋(としねばし)は、二俣橋から釈迦院川の上流方向にかかる高く大きな橋です。
1924年(大正13年)にかけられた、石橋の中では新しい橋となります。
残念ながら、国道 218号線に平行に橋がかけられていて、全容が見えませんでした。
それは、国道から見ても同じです。
高くて四連式のアーチなので、よく見たいのですが、ベストスポットを見つけられませんでした。
場所 熊本県下益城郡美里町佐俣
小岩野橋
小岩野橋(こいわのばし)は、天保年間から嘉永年間にかけられています。
小岩野川には見える範囲に替わる橋がなく、現在も生活用の橋として使われているようです。
国道218 号線から国道443 号線へ入り、釈迦院川をさかのぼります。
少し山間に入り込んだところにあるため、静かな環境でゆっくり見物できます。
場所 熊本県下益城郡美里町岩野
馬門橋
馬門橋(まかどばし)は、1827 年にかけられた石橋です。
美里町の石橋の中でも、最も往時の趣を残しているといわれています。
めがね橋はふつう、中央が最も高く端に行くほど低くなっています。
馬門橋は逆に、中央が最も低く、端に行くほど高くなっています。
駐車場は、東側にも西側にもあります。
しかし、訪れた日は東側からは行くことができませんでした。
西側の駐車場が、おススメです。
場所 熊本県下益城郡美里町佐俣
大窪橋
大窪橋(おおくぼばし)は、1849年にかけられた橋です。
主に津留川の南側にある、大窪集落の人たちが往来していました。
平坦な農地にある橋で、アーチ部分が高く盛り上がっています。
北側の石碑には「車通過から須」(くるまとおるべからず)とあります。
大窪の人たちが大事にしてきた石橋です。
霊台橋
霊台橋(れいだいきょう)は、1847 年にかけられた橋です。
単一アーチ橋としては日本最大といわれ、知名度も高い石橋となります。
緑川でも難関といわれた船津狭の木橋は、洪水のたび何度も流されてきました。
洪水がおこっても流されない悲願の橋として、住民も加わって完成させたといわれています。
上流に鉄骨製の橋ができたのは 1966年(昭和41年)のことです。
それまでは、国道 218 号線の橋梁として使われていて、大型バスやトラックもこの石橋を通っていました。
山都町にある通潤橋とともに、国の需要文化財です。
霊台橋は通潤橋より 7 年早く完成しており、通潤橋をかける際は参考にされたといわれています。
場所 熊本県下益城郡美里町清水
まとめ
石橋なんて、どれも同じだと思っていました。
しかし、いくつか見て回るとそれぞれに個性があることがわかります。
そしてどの橋も、風景とあまりにも自然に調和しています。
よく考えてみると、重機もない時代にかけられた橋が、100年以上経った今も残っているのは驚くべきことだと思いました。
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