佐多岬は、鹿児島県肝属郡南大隅町にある岬です。
九州本土最南端の岬として知られています。
佐多岬ロードパーク
佐多岬ロードパークは、現在の南大隅町道佐多岬公園線です。
佐多岬周辺を観光開発するために造られた道路です。
1964年(昭和39年)に、岩崎グループが建設し有料道路として供用を開始しています。
まず大泊の入口で料金を払っていました。
先へ進むと田尻に第二料金所があり、岬へ行くためには第二料金所でも料金を払います。
最奥の駐車場から、佐多岬へ続く歩道の入口に料金所がありました。
さらに、展望台に入るのも別途料金を払う必要がありました。
しかも佐多岬ロードパークは、自動車専用道路で、徒歩や自転車の通行は認められていませんでした。
2000年初頭(平成初期)の評価
開設当初は新婚旅行の岬めぐりブームもあり、多くの人が詰めかけていました。
1973年(昭和 48年)には、年間6万台の自動車が通行しました。
しかし、ブームが去ると通行量は減少に転じ、2000年代初頭には2万台程度まで減少します。
何回も料金を取るのに、施設は荒廃している悪名高い岬と化してしまいました。
一企業が事業として維持するメリットは何もなくなっていました。
2007年(平成19年)から南大隅町へ移管がはじまり、2012年(平成24年)に、全区間が町へ移管されています。
これにより、岬まで無料で行けるようになりました。
リニューアルされた佐多岬展望公園
南大隅町へ譲渡された佐多岬展望公園は、再整備が行われました。
北緯31度線展望広場のモニュメント
旧北緯 31 度線モニュメントは撤去されています。
新しい北緯31度線モニュメントは、旧モニュメントのあった場所から、南へ20メートル移動しています。
もちろん、新モニュメントのほうが正確な位置に近くなっています。
近年GPSが発達してから、旧モニュメントの位置が正確でないことが指摘されていました。
北緯 31 度線上にある世界の都市名です。
都市名 | 説明 | 都市圏人口 |
カイロ | エジプトの首都・アラブ圏で最も人口が多い | 954万人 |
ニューデリー | インドの首都 | 2,175万人 |
ニューオリンズ | 米ルイジアナ州の最大都市 | 39万人 |
シャンハイ | 中国のみならず政界最大の都市 | 2,400万人 |
カラチ | パキスタン最大の都市 | 1,490万人 |
新モニュメントでは、ニューオリンズと上海とカイロだけになっています。
ちなみに歓迎してくれるのは、南大隅町のキャラクター「みさきちゃん」です。
佐多岬展望公園駐車場
遊歩道入り口の駐車場になんと、きれいな建物が立っています。
ガジュマルは健在ですが、驚くのはガジュマルの奥です。
森林が切り拓かれ、展望所になっています。
そして、九州本土最南端の公衆電話は、九州本土最南端の携帯基地局になっています。
以前は、携帯電話もつながりませんでした。
しかし、今回は建物の外でwi-fiまで使えました。
建物は観光案内所です。
おみやげも売ってあります。
「ねじめびわ茶」、香ばしくて本当においしいです。
完全バリアフリー化された遊歩道
佐多岬公園の駐車場から佐多岬までは、約800mの遊歩道となっています。
かつては、階段はあるし海に落ちそうな断崖沿いの道でした。
公園のリニューアルにともない、完全バリアフリー化されています。
ベビーカーや車いすでも展望台まで行くことができます。
御崎神社
御崎神社は、遊歩道の途中にある神社です。
創建は708年です。
当初は、佐多岬海岸の磐屋がご神体で、浜宮とよばれていました。
1609年に現在地へ移され、御崎神社とよばれるようになっています。
ご祭神・ご利益
ご祭神は伊邪那岐命(いざなきのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)となります。
有名なご利益は、縁結びと安産です。
ほかに航海安全・交通安全・五穀豊穣・商売繁盛にご利益があるとされます。
佐多岬展望台
佐多岬の展望公園には、岩崎グループ撤退後も長らく、旧展望台とレストハウスが残されていました。
レストハウスのあった場所は、休憩所になっています。
特に展望台は、佐多岬のシンボル的な建造物でした。
しかし、度重なる台風と経年劣化で満身創痍の状態でした。
危険なため 2013 年(平成 25 年)に解体されています。
2018年(平成30年)に、建てられたのがニュー展望台です。
ピカピカです。
薩摩半島方向の眺望です。
硫黄島と竹島方向です。
種子島や馬毛島方向です。
屋上に登れます。
さらに高い視点から眺めが楽しめます。
ただし、風が強く感じます。
下のトイレも屋上に登れるようになっています。
佐多岬灯台守の官舎跡
佐多岬灯台は、1872年(明治4年)に建てられています。
灯台があるのは、大輪島といって佐多岬と陸続きではありません。
ただでさえ秘境の地であったうえに、断崖の先にある島に灯台をつくるのは容易ではなかったことでしょう。
明治政府が雇った英国人、リチャード・ヘンリー・ブラントンが設計し指導しています。
ブラントンはのちに、日本の「灯台の父」と呼ばれています。
灯台のそばに住み、灯台を維持管理する人を灯台守(とうだいもり)といいます。
佐多岬の灯台守の官舎は、本土側に建てられました。
灯台へ行くときには、ロープウェイに吊り下げられたゴンドラを使っていました。
官舎は、断崖絶壁の上を石垣で造成し建てられた、70㎡の石造平屋の建物です。
現在も住居跡が残っています。
今回初めて訪れましたが、場所的には展望台よりさらに南側になります。
これより南側は立入禁止です。
灯台守広場へは、遊歩道の途中に分岐路が数か所あるので、順路を気にせずに行くことができます。
まとめ
落ち込んでも年間2万人が訪れていた観光スポットです。
それは「本土最南端」の魅力にほかなりません。
今回は雲が厚かったので、晴れ日にまた行きます。
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