岩渕小学校 1977年(昭和 52年)に閉校した旧出水郡野田町の小学校
岩渕小学校は、かつて鹿児島県出水郡野田町(現在の出水市)にあった、町立小学校です。閉校から40年以上経っていますが、跡地のどこを見ても、手を付けるのをためらっているかのように、今なお学校の雰囲気が残っています。
岩渕小学校は、かつて鹿児島県出水郡野田町(現在の出水市)にあった、町立小学校です。閉校から40年以上経っていますが、跡地のどこを見ても、手を付けるのをためらっているかのように、今なお学校の雰囲気が残っています。
安良神社は、鹿児島県霧島市横川町にある神社です。大隅五社参りの一社、つまり大隅国を代表する神社のひとつです。飛鳥時代終盤、都の女官であった安良姫が、横川の地に流れ着いたことにまつわり創建されています。中世から近世にかけては、大隅国五社のひとつとして数えられた、大隅国を代表する神社です。
大納(おおの)小学校は、かつて宮崎県串間市にあった公立小学校です。統合先の都井小学校とならび、宮崎県最東南端の小学校となります。サーフィンの名所「恋ヶ浦ビーチ」は目と鼻の先です。宮崎市方面からアクセスする国道448号線は、定番ドライブコースです。
紫尾(しび)神社は、鹿児島県出水市高尾野町にある神社です。紫尾山の北西山麓に鎮座する、国史見在社(こくしけんざいしゃ)となります。紫尾山をご神体とする山岳信仰が発祥で、紫尾山の対麓にあるさつま町の紫尾神社と同名社になります。朱色の社殿と見事なご神木が印象的な神社です。
浦之名小学校は、かつて宮崎市高岡町にあった公立小学校です。2019年(平成31年)に閉校したばかりで、校門の前の閉校記念碑はピカピカの新品です。敷地の奥にある、銀色の円形ドームがとても気になるのですが、校内は立入禁止となっています。前を走る国道268号線、通称「えびのスカイライン」はよく使うので、いつになるかわかりませんが入場解禁になることがあれば近くで見てみたいです。
江口浜海浜公園は、鹿児島県日置市にある江口浜に広がる公園です。広範囲を公園として整備してあり、老若男女楽しく海と親しめます。江口浜海浜公園のメインとなるのは白砂の海岸です。なんと日本三大砂丘の吹上浜にあるのに、人工ビーチとなっています。波もおだやかなので、小さなお子さまでも安心して遊ばせることができます。
鹿村野(かむらの)小学校は、かつて宮崎市田野町にあった公立小学校です。閉校時は宮崎市でしたが、宮崎市と合併する旧宮崎郡田野町時代に、すでに休校していました。学校敷地が公有地なのは変わっていませんが、閉校後様変わりしています。というのも、閉校してから十数年しかたっていないのに、校舎が解体されてしまったからです。
南洲神社は、鹿児島市上竜尾町にある神社です。薩摩藩士西郷隆盛ゆかりの神社となります。近世の鹿児島の歴史を振り返るとき、必ず語られる西郷隆盛の親しみを込めた愛称は「西郷殿(せごどん)」ですが、敬意を表すときは「南洲翁(なんしゅうおう)」とよばれていました。西南戦争において薩郡を率いた南洲翁と、薩軍戦没者の墓地が南洲墓地であり、その霊をまっつたのが南洲神社です。
寄田小学校は、かつて薩摩川内市寄田町にあった市立小学校です。寄田町は川内駅から南西へ約16km離れていて、自然豊かなところです。鹿児島県道 43 号川内串木野線沿いにある校舎には、最盛期300名をこえる生徒が通っていました。2000年代に入ってからは、全校生徒は10名程度で推移するようになっていました。
小戸(おど)神社は、宮崎市鶴島にある神社です。古来から宮崎市街と大淀川の河口を見守っています。小戸という社号は、主祭神の伊弉諾大神(いざなぎおおかみ)が禊(みぞぎ)をした、日向の橘の小戸にちなんでいます。宮崎市街地からほど近く、大淀川には親水公園もあるため、市民が親しみやすい感じがしました。
高免(こうめん)小学校は、鹿児島市高免町にある小学校です。現在は休校中です。高免町(こうめんちょう)は、有名な黒神埋没鳥居がある桜島北東部の町です。現在休校中の高免小学校の校区の児童は、黒神小学校へ通っています。
鹿児島五社というのは、鹿児島市の上町(かんまち)地区にある、5つの神社のことです。薩摩藩主島津家ではじまった五社参りは、領主一族と家臣の風習でしたが、次第に一般庶民にも広がったものです。明治時代以降は市街が南へ広がり車社会になったことで、薩摩藩時代の社勢はありませんが、5社ともに現存し往時の名残を伝えています。