球磨焼酎 熊本県人吉球磨の500年続くブランド
球磨焼酎というのは、熊本県の南部で造られている米焼酎です。貴重な米を原料に500年以上造られ続けたのは、外界から閉ざされた盆地という条件下にあったためといわれています。伝統を守りながらも、時代に合わせ進化してきた焼酎です。
球磨焼酎というのは、熊本県の南部で造られている米焼酎です。貴重な米を原料に500年以上造られ続けたのは、外界から閉ざされた盆地という条件下にあったためといわれています。伝統を守りながらも、時代に合わせ進化してきた焼酎です。
思いもかけない専門的な分野に、深い興味がある方がたくさんいらっしゃいます。私もその一人なので、こんな記事を書いています。マニアの方には物足りないと思いますが、分野別に記事をまとめておきます。
相良三十三観音巡りは、江戸時代に人吉藩で始まった巡礼です。時代による変化がありながらも、今日まで受け継がれています。三十三観音霊場ながらも35の札所があります。記事がさがしやすいようにまとめておきます。最近は観光で巡礼する方も多いと聞きます。参考になれば幸いです。
上里の町観音は、相良三十三観音霊場の26番札所となります。通称「町の観音さん」で、その名の通り湯前町上里の町の中に祀られます。建築に関わった大工さんや、鰐口の寄進者から、西米良村の人々の信仰も集めていたことが伺われます。
千望展望所は、白髪岳登山口へ行く途中にある展望所です。球磨郡の中心にあるので球磨郡中が見渡せます。特にあさぎり町の中心部方向の展望がききます。道中、林道を通りますが舗装道路です。展望所あたりのみ未舗装ですが難所はありません。
一勝地阿蘇神社は、森林が87%を占める村の土地柄からか、そう大きな敷地ではありません。にもかかわらず、参拝される方の多い神社です。「地に足をつけまず一勝を」ということで、受験や部活の大会をひかえた学生さんや、親御さんが特に多くいらっしゃってます。
永田観音は、相良三十三観音霊場の11番札所です。もともとは、鬼木町芦原の施無畏院(せむいいん)の観音さまでした。現在の聖泉院に移されたのは明治になってからです。今でも「芦原ん観音さん」とよぶ人もいます。公式にも永田観音と芦原観音が併記されています。
岡本城というのは、球磨郡あさぎり町岡原南にある中世の城跡です。岡本諏訪神社のある場所は、岡本城の一部でした。城郭は神社よりさらに高いところにあったと考えられます。岡本城跡には、岡本地区に隠居した相良家の家老清兵衛どんの墓があります。相良家存続に多大な貢献を果たした人物と評されています。
油谷ダムは、八代市坂本町鮎帰にあるロックフィルダムで、揚水発電の下部調整池となります。球磨郡五木村の内谷ダムが上部調整池であり、両ダムはセットで運用されます。両ダムは直線距離で3㎞程度しか離れていませんが、直接行き来する車道はありません。八代か人吉を迂回し、数時間かけて行くことになります
清水(きよみず)観音は、相良三十三観音霊場の1番札所です。観音堂は願成寺のすぐそばになります。1603年、相良家20代藩主長毎(ながつね)の立願により、京都清水寺の清水観音を勧請したものです。ご本尊は、永い間人吉城内にありました。明治になってから願成寺に移されたものです。
願成寺は、1233年、相良家初代領主、相良長頼によって創建されたお寺です。願成寺は人吉城からみて、丑寅(北東)の方角にあたります。鬼門を守護する意味も含めて、氏寺としたといわれています。敷地の大部分は相良家墓地です。さらに登ると大村平家城跡です。
瀬原観音は、相良三十三観音霊場の10番札所となります。旧来からの人吉市街にあり、現在も観光ホテルが並ぶ、人吉の商業地域の代表スポットにあります。境内の「ガランさま」と呼ばれる石塔は、耳の病気や、咳にご利益があるといわれています。