霧島岑神社

霧島岑神社 日向国式内社で中央権現の名が示す霧島信仰の本宮

霧島岑(きりしまみね)神社は、宮崎県小林市細野にある神社です。

霧島で神社と言ったら、今でこそ鹿児島県霧島市の霧島神宮が有名です。

霧島岑神社

しかし、霧島岑神社の旧名は、霧島大権現宮とか、霧島中央権現社といいます。

その名が示す通り、霧島六社の本宮であり、中心的存在であったといわれています。

日向国の式内社

霧島神社は、もともとは日向国の式内社といわれています。

式内社というのは、927 年にまとめられた全国の官舎リストに名を連ねる神社のことです。

日向国には4社の式内社があります。

  • 都農神社
  • 都万神社
  • 江田神社
  • 霧島岑神社

霧島神社は、霧島山の神さまをまっつており、霧島山の山岳信仰とも考えられます。

瀬田尾権現

当初、霧島神社は高千穂峰と火常峰(現在の御鉢)の間の、瀬多尾というところにありました。

900年代なかごろには、霧島山の四方に4社が創建されました。

御鉢

霧島神社の古宮は、1234年の火常峰(御鉢)の大噴火により、焼失し遷座しています。

ところが、1716年には新燃岳が噴火し、社殿は再び焼失します。

その後も遷座や分社を繰り返し、現在の霧島神社は4社となっています。

  • 霧島岑神社 ・・・ 小林市
  • 東霧島神社 ・・・ 都城市
  • 霧島東神社 ・・・ 高原町
  • 霧島神宮 ・・・ 霧島市

現在の4社になった経緯には、諸説あるようです。

霧島六所権現

霧島神社4社に次の2社を加えた6社を、霧島六所(社)権現とよんでいます。

  • 狭野(さの)神社 高原町
  • 夷守(ひなもり)神社 小林市

※ 夷守神社は、1873年(明治6年)に、霧島岑神社へ合祀

東霧島神社と霧島東神社は、明治初期に霧島神宮の摂社となっています。

霧島岑神社は、霧島六所権現の元宮で、中心社であったともいわれています。

それは、霧島岑神社をかつて霧島中央権現よんでいたことからも、有力説とされます。

のちに明治政府の中枢には、薩摩藩閥の政治力があり、以降は鹿児島県側にある霧島神宮が霧島神社の本社かのようになってしまったといわれます。

ご祭神・ご利益

霧島岑神社のご祭神は六柱です。

  • 瓊瓊杵命(ににぎのみこと)と木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
  • 彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)と豊玉姫命(とよたまひめにみこと)
  • 鵜鷲草葺不合尊(うがやふきあへずのみこと)と玉依姫命(たまよりひめのみこと)

日向三代とそれぞれの配偶神になります。

日本神話や古事記では、日向三代が皇室の元となり、国造りしています。

そのため、家内安全・子孫繁栄・縁結び・子宝・子育てにご利益があるとされています。

境内

前置きはここまでで、お詣りします。

整然とした参道です。

江戸時代にも描かれていた参道です。

二の鳥居です。

摂社越しに、社殿が見えてきます。

参道に対で植えられたご神木の間から、社殿を覗きます。

手水です。

拝殿と社殿です。

拝殿正面です。

左側から見た拝殿です。

宝光院の古石塔

宝光院というには、夷守神社の別当寺です。

室町時代の石塔が残っています。

まとめ

霧島山では、何十万年も前から火山活動が続いています。

火山活動は少しづつ位置を変えながら広範囲に及んでいます。

そのため、無数の火山やカルデラ湖が形成されています。

霧島神社も永年の間に、遷座や分社を繰り返し、現在の姿になったことがわかりました。

場所 宮崎県小林市細野4937

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