水俣駅は、熊本県水俣市にある肥薩おれんじ鉄道の駅です。
九州新幹線は、新水俣駅として新駅が建設されています。
この記事は、JR九州の鹿児島本線から、第3セクター肥薩おれんじ鉄道が継承した水俣駅について書いています。
リニューアル
水俣駅は、九州新幹線が開業した、2004年(平成16年)からは、JR 九州から事業を引き継いだ肥薩おれんじ鉄道の駅になっています。
2015年(平成27年)に駅舎を改装しています。
デザインは、あの水戸岡鋭治さんが担当しています。
そういえば、おれんじ食堂も水戸岡さんのデザインでした。
かつての山野線分岐駅
かつて鹿児島県の栗野駅を結んでいた山野線の起点駅です。
山野線廃線後も JR九州の鹿児島本線の駅として存続しています。
現在も、旅客用として3番ホームまであります。
主に山野線が発着していたのは3番ホームです。
肥薩おれんじ鉄道になってからも、八代~水俣駅間の折り返し運転をしていた2005年(平成17年)ころまで、3番ホームも使っていました。
しかし、現在は3番ホームは使われていません。
さらに3番ホームの外側には、貨物側線がありましたが、現在は住宅地になっています。
かつては水俣工場内へ、チッソ専用線でつながっていました。
チッソ
水俣駅のま正面にあるのが、チッソ(現:JNC)水俣工場です。
過去の水俣を語るとき、チッソを避けて通れません。
チッソがあったからこそ、水俣市は大きく発展しました。
チッソ本社の社長が水俣を訪れるときは、水俣駅から水俣工場まで、レッドカーペットが敷かれたという話をきいたことがあります。
それほど、水俣市民がチッソに恩義を感じていたということでしょう。
一方で水俣病という世界に名だたる公害病が社会問題となったのも、チッソあってこそのことです。
水俣市の近代史には、チッソ水俣工場の歴史が大きくかかわっています。
沿革
1926年(大正15年) | 川内本線の駅として開業 |
1927年(昭和2年) | 鹿児島本線へ改称 |
1934年(昭和9年) | 山野西線・水俣駅~久木野駅間開業 |
1937年(昭和12年) | 山野西線を山野線へ改称 |
1982年(昭和57年) | 山野線貨物列車廃止 |
1985年(昭和60年) | チッソ専用線含む貨物取扱廃止 |
1987年(昭和62年) | JR九州が継承 |
1988年(昭和63年) | 山野線廃線 |
2004年(平成16年) | 肥薩おれんじ鉄道の駅となる |
関連記事
【関連記事】水俣病資料館 チッソとともに歩んだ水俣市の近代史
【野山線西大川駅】黒猫の駅長さんと触れ合えるかもしれない秘境駅