精矛神社 鬼島津の異名を持つ島津義弘公をまつる見どころの多い神社
精矛神社(くわしほこじんじゃ)は、鹿児島県姶良市加治木町にある神社です。加治木で晩年を過ごした戦国武将・島津義弘公をまつります。義弘公は20歳の初陣以来、66歳で参戦した関ヶ原の戦いまで、大小50数回の戦に参戦し武勲を挙げ、敵将に「鬼島津」と恐れられた名将です。
精矛神社(くわしほこじんじゃ)は、鹿児島県姶良市加治木町にある神社です。加治木で晩年を過ごした戦国武将・島津義弘公をまつります。義弘公は20歳の初陣以来、66歳で参戦した関ヶ原の戦いまで、大小50数回の戦に参戦し武勲を挙げ、敵将に「鬼島津」と恐れられた名将です。
伊崎田駅は、かつて鹿児島県曽於郡有明町にあった国鉄志布志線の駅です。現在は、志布志市の有明町鉄道記念公園となっています。往時の姿がほぼ手を付けない形で残る志布志線唯一の駅跡です。開札や時刻表なども、現役時に使われていたものがそのまま残っています。
川上中学校は、かつて鹿児島県肝属郡肝付町にあった町立中学校です。美しい平屋建て木造校舎は、国の登録有形文化財となっています。外観もすばらしいのですが、内部も1949年(昭和24年)建造時の姿を守り続けていて、木造建築物のミシュランガイドがあれば間違いなく五つ星です。
内之浦宇宙観測所は、鹿児島県肝属郡肝付町にあるJAXA の宇宙観測施設、ロケット打ち上げ施設です。1963年(昭和38年)の開所以来、約400機のロケットを打ち上げています。一般の方も、車で観測所内に入り、無料で施設を見ることができます。
熊本県の神社を一覧表にしてみました。すると、頭でイメージしていた以上に、訪れたことないスポットが多いことがわかりました。サイト内に記事があるスポットはリンクしています。生きている間に全社をリンクさせたいですが、いつまで経っても完成しないかもしれません。
新田神社(にったじんじゃ)は、鹿児島県薩摩川内市にある神社です。薩摩国の一の宮です。川内川沿いの一の鳥居から神亀山一帯まで、広大な社地を持つ神社です。ただし、神亀山の4/5は、可愛山陵(えのみささぎ)というニニギノミコトのお墓になっていて、宮内庁が管轄しています。
山野線は、かつて熊本県水俣市から、鹿児島県栗野町までを結んでいた、JR 九州の鉄道路線です。1937年(昭和 12年)に全通、1988年(昭和63年)に全線が廃止されています。廃線から時間が経過するほど、遺構は少なくなりますが、山野線跡にはまだ鉄道の痕跡が残っていて、当時を偲ぶことができます。
加藤神社は、熊本市のシンボル・熊本城のなかにある神社です。熊本藩初代藩主、加藤清正公をまつります。加藤神社の初詣の人出は、熊本県で最も多く45万人にのぼるとされます。初詣だけでなく、熊本に住む人にとって人生の節目に欠くことのできない神社です。
藤崎八旛宮は、熊本市民の総鎮守です。初詣になると35万人の人がつめかけます。肥後国の国分八幡宮として置かれた経緯を持ち、肥後国三の宮とされています。毎年9月の藤崎宮秋季例大祭は、「どーかい、どーかい」という掛け声で知られる、熊本を代表するお祭りです。
宮之城線は、かつて鹿児島県薩摩川内市から伊佐市に間にあった、国鉄の鉄道路線です。川内駅から薩摩大口駅まで、全20駅の最新状況の記事です。宮之城線の跡には、鉄道の歴史を伝えようと廃線後に建てられた施設もありますが、廃線から30年を越え当時の遺構は解体や撤去が進んでいます。
大穴持神社(おおなむぢじんじゃ)は、鹿児島県霧島市国分広瀬にある神社です。大隅国の式内社で、愛称は「おなんじさぁ」です。社地の前は錦江和でしたが、江戸時代の末に大干拓工事を行い、小村新田を開発しました。明治時代には小村小学校も開校しています。
栗野線は、鹿児島県姶良郡湧水町にあるJR九州肥薩線の現役駅です。駅には物産品販売所「栗太郎館」、駅裏には観光地の丸池湧水があるため、栗野駅の跨線橋は通路を兼ねています。そのため、有人駅で改札がありますが、構内へ通路として入退場できるようになっています。