一ツ瀬小学校 ダム水没地の苦悩
一ツ瀬小学校は、かつて宮崎県西都市大字中尾にあった公立小学校です。1962年(昭和37年)から、たった20年の間に、100名もの児童が減少しています。水没地の方が見たら、気を悪くされるかもしれませんが、ダムの水没地の苦悩がわかるような気がしました。
一ツ瀬小学校は、かつて宮崎県西都市大字中尾にあった公立小学校です。1962年(昭和37年)から、たった20年の間に、100名もの児童が減少しています。水没地の方が見たら、気を悪くされるかもしれませんが、ダムの水没地の苦悩がわかるような気がしました。
杉安ダムは、宮崎県西都市にある、九州電力が管理するダムです。すぐ上流にある一ツ瀬ダムとセットで運用されています。セットで建設されたためか、杉安ダムも一ツ瀬ダムと同じ、アーチ式ダムとなっています。小規模なダムで、アーチ式のものは、あまり見ることができないと思います。
小川小中学校は、かつて宮崎県児湯郡西米良村大字小川にあった村立学校です。小川城には幕末まで米良氏が居城していました。明治になり小川城の敷地内には、小川小学校が建てられています。閉校となったのは、1989年(平成元年)のことです。
一ツ瀬ダムは、宮崎県西都市にあるアーチ式ダムです。総貯水容量、湛水面積ともに、九州最大のダムとなります。全国で見ても第12位の大きさです。アーチ式ダムだけで比較すると、全国第2位となります。一般水力発電所としては、九州最大の出力を誇ります。
東光寺八幡神社は、熊本県球磨郡多良木町黒肥地のにある神社です。東光寺というのは、このあたりの地名です。地名は仏教寺院の東光寺にちなむものです。東光寺八幡宮は、仏教寺院の東光寺と関係するものではないと思われます。
東光寺というのは、本来は仏教寺院を指し、全国に同名の寺院があります。しかし、球磨郡で東光寺といえば、熊本県球磨郡多良木町大字黒肥地のなかの一地区を指します。1243年の相良家文書では、このあたりは東光寺村として表されています。
全国にある白鳥神社ですが、熊本県ではあまりみかけません。球磨郡で白鳥神社といえば、黒肥地のものくらいしか聞いたことがありません。地域的に見ると、中部地区や南東北に多く分布しているようです。黒肥地の白鳥神社は、鎌倉時代から鎮座の記録があります。
俣口分校は、かつて熊本県球磨郡球磨村大字一勝地の俣口地区にあった、一勝地第二小学校の分校です。俣口へ行くには、那良口から那良川をひたすらさかのぼります。俣口分校までも遠いのですが、さらに上流には遠原(とおばら)という集落があるというから驚きです。
一勝地第二小学校は、かつて熊本県球磨郡球磨村大字三ヶ浦にあった村立小学校です。現在は、「田舎の交流館さんがうら」として利用されています。 球磨村発足前の一勝地村は、旧一勝地村と三ヶ浦村の2村が合併した村でした。球磨村発足前は、松谷小学校といっていました。
下槻木(しもつきぎ)小学校は、かつて熊本県球磨郡多良木町にあった町立小学校です。下槻木集落は、槻木大師堂や四所神社がある地区になります。県最南東端の集落です。小学校の建物は、ほぼそのまま残っており、体育館は現役で使われています。
槻木(つきぎ)中学校は、かつて熊本県球磨郡多良木町大字槻木にあった公立中学校です。槻木中学校は、1986年(昭和61年)に多良木中学校へ統合されています。校舎は、ふるさとの森休養施設として整備され、現存しています。
槻木菅原神社は、熊本県球磨郡多良木町の槻木地区にある天神さんです。山奥の小さな集落にある神社なのですが、社殿は驚くほど立派です。県境の集落は、かつては領土争いの最前線であり、地域守護のため立派な社殿が残されたのかもしれません。