関之尾滝(せきのおのたき)は、宮崎県都城市にある大きな滝です。

大淀川支流の庄内川にある滝で、観光地になっています。
関之尾滝とは?

34万年も前におきた加久藤カルデラの大噴火で、火砕流から溶結凝灰岩ができました。

溶結した堆積物は固く浸食されにくいのですが、溶結しなかった部分は浸食されやすくなります。

そのため、永い年月をかけて特徴的な地形を形成します。

関之尾の滝は、庄内川が柱状節理に沿って溶結凝灰岩を浸食したことで滝となったものです。

柱状節理というのは、火山の堆積物が冷やされていくときできる、板状の割れ目のことです。

水量豊富な大滝を見ることができます。

並ぶ見どころが、甌穴(おうけつ)です。

1600年代からは、滝の落差を利用した用水路がつくられはじめました。

現在は、南前用水路、北前用水路、前田用水路と3本の用水路の取り入れ口があり、一大水利拠点となっています。
大滝

大滝は庄内川本流に自然にできたものであり、落差は18m、幅は40mあります。

滝の下流にはつり橋がかけられていて、間近に滝を見ることができます。

男滝

男滝は自然にできたものではなく、北前用水路の余水吐きとして造られたものです。

取水口より取り入れた水量が多いときは、ここで余水を吐き出しています。

女滝

女滝は、北前用水路につくられた人工の滝です。

明治時代に岩を掘ってつくられたものです。

甌穴群

関之尾滝の上流の河原には、甌穴(おうけつ)ができた岩がたくさんあります。

甌穴というのは、岩のくぼみに入り込んだ小さな石が、水流で回転することでできた穴のことです。

形成にははやはり、永い年月が必要です。

関之尾滝の駆穴群は、長さ600m、幅80mの広範囲にわたってみることができます。

日本のみならず世界的にも類を見ない、大規模な甌穴群です。

甌穴の形成は現在も進行中です。

潜り橋

潜り橋(もぐりばし)というのは、関之尾滝上流で、庄内川にかかる橋です。

増水すると越水し、水が橋の上を流れるのを前提につくられています。

その分川面に近く、甌穴群を観察しやすくなっています。

滝の駅せきのお

滝の駅関之尾というのは、関之尾滝へと続く遊歩道の入り口にあるお店です。

観光地関之尾の滝の、物産販売所と観光案内所的な役割を担っています。

遊歩道はバリアフリーに対応していて、展望台までは階段の道と段差のない道を選べます。

川上神社
川上神社は、関之尾滝展望台のすぐ手前にある神社です。

出水神様(でみじんさあ)をまつります。

水の神さまです。

都城島津家第18代、「島津久理公」が、関之尾滝の上流から取水し、南前用水路を完成させています。

明治時代につくられた北前用水路は、新田開発の第一人者「坂元源兵衛」によるものです。

北前用水路に続けてつくられた前田用水路は、難工事の末、「前田正名」が完成させています。

川上神社は、3つの用水路を完成させた、「島津久理」「坂元源兵衛」「前田正名」の3柱を祭神として加えています。

関之尾滝を守り、平和と家内安全、五穀豊穣を願い建てられた神社です。
関之尾滝の伝説

時は室町時代、都城島津家初代領主、本郷資忠(ほんごうすけただ)が、関之尾滝で月見の宴を開きました。

その時「お雪(しず)さん」という女性が酌をしていまいた。

とこおが、お雪さんは緊張のあまり、酒をこぼしてしまいます。

その責を感じ、朱塗りの盃を胸に抱いて、滝つぼに身を投げてしまいました。

お雪さんの恋人だった経幸(つねゆき)は、滝のそばでお雪の名を叫び続けました。

そして、槍の穂先で岩盤に一句の歌を刻んだあと、行方不明になってしまいました。

それ以来、名月の晩になると、朱塗りの盃が滝つぼに浮かび上がるといわれています。

現在でも大滝のそばの岩肌には、刻まれた歌を見ることができます。
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