神州不滅の碑

神州不滅の碑 本土決戦の最前線迎撃基地に建てられた石碑

神州不滅の碑というのは、鹿児島県志布志市にある石碑です。

神州不滅の碑

1945年 (昭和20年)に、第86師団積兵団、芳中師団長によって建てられています。

神州不滅とは?

神州不滅の碑とその説明板

神州不滅とは、読んで字のごとく「神州(神国)は不滅である」という意味です。

神州不滅の碑

先の大戦では、たとえ戦争に負けたとしても、日本 (神州) は滅びないとして、神州不滅がスローガンになっていました。

神州不滅の碑の説明板

米軍迎撃

松山城山総合公園

終戦間近になると、日本軍は本土決戦を想定していました。

松山城山総合公園

志布志湾から上陸してくる米軍に対し、最前線迎撃基地が構築されたのが松山城跡でした。

松山城山総合公園 松山城二の丸跡へ登る道

松山の山中に陣を構えたのは、日本陸軍第 86 師団です。

松山城山総合公園 神州不滅の碑の入口

団長は芳中和太郎中将でした。

松山城跡内六地蔵の標柱

基地は実戦を待たず終戦を迎え、直後の8月の終わりには神州不滅の碑が建てられています。

松山城跡内六地蔵の標柱

9月4日には、鹿屋市の金浜海岸に2500 人の米軍兵が無血上陸しています。

松山城跡内六地蔵

心霊スポット

松山城跡 神州不滅の碑

実はこの神州不滅の碑、大戦の戦死者の霊が集まるスポットとなっているとのウワサがあります。

  • 銃を構えた兵士
  • 身体の半分を失った兵士

目撃情報はいずれも、第二次世界大戦下の日本兵を想起させるものです。

松山城山総合公園 神州不滅の碑

終戦により、この地で戦闘は行われておらず、両軍ともに戦死者はいません。

松山城山総合公園 神州不滅の碑

にもかかわらず、この地が心霊スポットといわれるのは仮説があります。

松山城跡から見た松山の町

戦死者の怒り

神州不滅の碑は慰霊碑でもあるのですが、厳密にいうと慰霊碑ではありません。

松山城二の丸跡

慰霊碑というのは、戦死者を慰霊する目的を最優先に建てられます。

松山城山総合公園 松山城二の丸跡

ところが神州不滅の碑は、戦時下の国や軍の理念を賛美する意味合いが強いといいます。

松山城跡の展望台

つまり、戦死者の霊は神州不滅の碑が、同胞の死をないがしろにしていると感じているというのです。

松山城二の丸跡 湧水道配水池

ひいては、戦死者が怒り、霊が集まる場所となっているという説です。

松山城二の丸跡の展望台

確かに日本は敗戦によって滅亡していません。

松山城二の丸跡の展望台

当時の日本の人々は正義のために戦ったのですが、敗戦によりそのほとんどが否定されました。

松山城山総合公園から見た松山の町

現実には戦前の日本と戦後の日本は、正義を上書きされた別の国ということもできます。

松山城山総合公園

松山城跡の説明板

鹿児島県の城山公園は、かなり高確率で心霊スポットとうわさされています。

松山城山総合公園案内板

神州不滅の碑も、松山城山総合公園内に建てられています。

鹿児島市城山公園鹿児島城
霧島市城山公園国分城
日置市城山公園一宇治城
志布志市松山城山総合公園松山城

なかには、これらを混同した情報もみかけます。

松山城二の丸跡への案内標柱

神州不滅の碑が建てられているのは、松山城の二の丸跡です。

松山城跡展望台

お城を模した展望台がありましたが、カギがかかっていて登ることはできませんでした。

松山城山総合公園 松山城二の丸跡

場所 鹿児島県志布志市松山町 1570-17

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