本之牟礼分校 阿久根の山間にぽつんと残る校舎
本之牟礼(ほんのむれ)分校は、かつて鹿児島県阿久根市にあった大川小学校の分校です。本之牟礼集落は、西都市の寒川集落と同様、住民が集団移転しています。本之牟礼分校には閉校後、陶芸家の方が長い間住んでいました。集落跡が山林に戻ったのに対し、山間の校舎だけが残る、ポツンと一軒家状態になっているのが印象的です。
本之牟礼(ほんのむれ)分校は、かつて鹿児島県阿久根市にあった大川小学校の分校です。本之牟礼集落は、西都市の寒川集落と同様、住民が集団移転しています。本之牟礼分校には閉校後、陶芸家の方が長い間住んでいました。集落跡が山林に戻ったのに対し、山間の校舎だけが残る、ポツンと一軒家状態になっているのが印象的です。
佐潟の洞窟は、鹿児島県阿久根市にある不思議なほら穴です。ながいながい年月をかけて、海水が岩を浸食してできたものです。阿久根市西目の佐潟地区から、東シナ海に飛び出した岬を佐潟鼻といいます。観光地として訪れる人も少なく、手つかずの自然が残っていて、その風景を秘かに楽しみたいスポットです。
寒川(さぶかわ)小中学校は、かつて宮崎県西都市にあった公立学校です。 1978年(昭和 53年)に閉校しています。 のちに寒川は、集団離村により住民もいなくなりました。集落跡には、現在も建物が点在するのを見ることができます。
大河平(おこびら)小学校は、かつて宮崎県えびの市ににあった公立小学校です。この地の時の領主であった大河平氏は、日向の完全支配を目指す伊藤氏と、今城合戦で死闘を繰り広げます。この歴史を見てきたツツジは、血潮のようにまっ赤な花をさかせるといいます。
1960年代、宮崎は新婚旅行ブームに沸いていました。都井岬にも、全国から観光客が詰めかけます。ピークとなった 1974年には、年間70万人もの人が、都井岬を訪れていました。しかし、ブームは過ぎ去り 観光客は減少に転じます。
尾股(おまた)小中学校は、かつて宮崎県児湯郡西米良村にあった村立学校です。国道沿いながら、山深い場所にあります。廃校跡としては名高く、以外にも遠くからの訪問者もいるみたいです。いつまでも校舎が、残されることを願います。
岩井谷小学校は、かつて宮崎県西都市大字尾八重にあった、公立小学校です。マニアの間ではよく知られています。1987年(昭和62年)に閉校となった後は、キャンプ場として利用されていたようです。現在は、キャンプ施設としても老朽化したため、立入禁止となっています。
一ツ瀬小学校は、かつて宮崎県西都市大字中尾にあった公立小学校です。1962年(昭和37年)から、たった20年の間に、100名もの児童が減少しています。水没地の方が見たら、気を悪くされるかもしれませんが、ダムの水没地の苦悩がわかるような気がしました。
猫寺というのは、熊本県球磨郡水上村にある生善院の通称です。人吉藩が悩まされた化け猫騒動の発端となり、また騒動を鎮めたお寺です。以後「お嶽さん参り」という人吉球磨で永年続いた風習を生んでいます。現在では愛猫の健康祈願や病気治癒祈願に訪れる方もいます。