阿蘇山頂ドライブイン 火山の驚異の前になすすべなく佇む観光レストラン
阿蘇山上ドライブインというのは、かつて阿蘇山頂広場にあった商業施設です。中岳火口を訪れたことにある人なら、必ず目にしています。1956年 (昭和31年) 阿蘇登山道路の供用開始以来、長年にわたり阿蘇山頂広場で営業していました。
阿蘇山上ドライブインというのは、かつて阿蘇山頂広場にあった商業施設です。中岳火口を訪れたことにある人なら、必ず目にしています。1956年 (昭和31年) 阿蘇登山道路の供用開始以来、長年にわたり阿蘇山頂広場で営業していました。
久住高原ロードパークというのは、大分県竹田市にある一般自動車道です。鹿児島市に本社がある岩崎産業グループが運営していますが、2016年 (平成28年)の熊本地震以降、全線通行止めになっています。
鵜毛(うけ)分校は、かつて宮崎県日向市にあった、平岩小学校の分校です。本校の平岩小学校が小中一貫校として生まれ変わる際、閉校しています。日向灘沿岸北部広域農道を走っていると、、フェンスに掲示された 「鵜毛分校」 の看板が目に入ります。
山小屋会館というのは、かつて熊本県荒尾市にあった宴会場です。廃墟マニアの間ではけっこう有名な物件となります。レストランと結婚式場をメインとする大人気店で、大相撲九州場所の際には、横綱輪島関一行などが必ず訪れていたといいます。
阿蘇山スキー場というのは、かつて熊本県阿蘇市(旧阿蘇町)にあったスキー場です。昭和時代からあった、九州初の人工スキー場でした。'72年札幌オリンピック後のスキー人口増加や、'80年代のスキーブームで活況を呈しました。
荒尾二造というのは、東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所の略称です。かつて熊本県荒尾市にあった、旧日本陸軍の火薬工場のことです。終戦時には、500棟もの建物があり、約 3,000人もの人が働く巨大工場となっていました。
田之浦中学校は、かつて鹿児島県志布志市にあった公立中学校です。2014年 (平成26年) 旧志布志町の中学校は1校に統合されたため閉校しています。キャッチフレーズは「みんなが主人公・田之浦中」です。
草部南部 (くさかべなんぶ) 小学校は、かつて熊本県高森町にあった公立小学校です。校地跡には昭和時代を思い起こさせる、切妻屋根の木造平屋建て校舎2棟が解体されずに残っています。
遊雀 (ゆうじゃく) 小学校は、かつて熊本県阿蘇市 (当時の波野村)にあった、公立小学校です。学校跡には、懐かしく貴重な木造校舎が残されています。切妻屋根の平屋建て校舎は、そこはかとなく懐かしい雰囲気が漂います。
深葉(ふかば)分校は、かつて熊本県阿蘇市にあった内牧(うちのまき)小学校の分校です。現在は菊池阿蘇スカイライン沿いにあり、簡単に行くことができます。しかし、1957年(昭和32年)までは、ちゃんとした道路もなく、電気もきていませんでした。
旧田原村役場(きゅうたばるそんやくば)というのは、かつて宮崎県西臼杵郡にあった村の庁舎です。田原村消滅後も、高千穂町役場田原出張所として活躍してきましたが、1978年(昭和53年)に役所としての役割を終えています。
仙酔峡ロープウェイというのは、かつて熊本県阿蘇市にあった索道路線です。2010年(平成22年)の運休後、再開されることなく廃止されています。仙酔峡は阿蘇高岳の北側に位置する、ミヤマキリシマの名所です。かつては中岳火口までロープウェイで行くことができました。