川原瀬保安退避室 断崖に埋もれる’70年代の先駆的デザイン
川原瀬 (こらぜ) 保安退避室、通称「川原瀬シェルター」は、鹿児島県肝付町にある建物です。内之浦宇宙観測所からロケットを打ち上げる際に、住民の一時避難所として建てられた施設となります。
川原瀬 (こらぜ) 保安退避室、通称「川原瀬シェルター」は、鹿児島県肝付町にある建物です。内之浦宇宙観測所からロケットを打ち上げる際に、住民の一時避難所として建てられた施設となります。
長坪保安退避室、通称「長坪シェルター」は、 鹿児島県肝付町にある建物です。宇宙ロケット打ち上げ時の異常事態に退避する施設として建てられたものです。1967年 (昭和42年)築ですが、現在もその姿を残しています。
遣唐使館 (けんとうしかん)というのは、かつて鹿児島県坊津町 (現在の南さつま市)にあった 公共施設です。坊津は古代日本の主要港で、 遣唐使船の寄港地であり、唐の高僧・鑑真の上陸地であったことにちなむものです。
枕崎マーメイドというのは、鹿児島県枕崎市の枕崎港近くにあるモニュメントです。以前は駅前ロータリーに横たわる「平和の人魚像」だったはずですが、最近はマーメイドとよばれています。あらためて顔の輪郭と上半身を見ると、マーメイドのほうがしっくりきます。
間世田 (ませだ) 病院というのは、かつて鹿児島県志布志市にあった病院です。診療科目は産婦人科なので、たくさんの生命が生まれたであろう場所です。現地を確認すると、現在は明らかに診療しているようには見えません。
南薩競馬場というのは、かつて鹿児島県南九州市にあった競馬場です。競馬場があったといっても大昔の話で、戦前には廃止されています。訪れてみるとただの畑地にしか見えません、ところが、航空写真で見ると馬場の形がそのまま残る希少な競馬場跡です。
吉川 (きちかわ) 小学校は、かつて薩摩川内市にあった公立小学校です。閉校前のキャッチフレーズは「自然の楽園、主役はあなたです」でした。川内駅から約15km、車なら 25分で行くことができます。
天保山(てんぽざん)公園は、鹿児島市天保山町にある公園です。天保年間(1830年~1844年)にできた埋立地で歴史は浅いのですが、甲突川の河口ということもあり話題には事欠きません。クロマツ林では怪現象がおきるといいます。
東海大学阿蘇校舎は、かつて熊本県南阿蘇村にあった同大農学部キャンパスです。熊本地震によって大きな被害を受けましたが、震災遺構として保存してあり、見学することができます。ONE PIECEのロビン像とともに震災の教訓を後世に伝えます。
旧東郷医院というのは、鹿児島県 志布志市にある洋館です。1917年(大正6年)に建てられた現存する志布志の唯一の洋館で、市指定の文化財になっています。中も見たいのですが公開されるのは、年に1回お釈迦まつりの日だけです。
鴨池空港はというのは、かつて鹿児島市にあった空港です。鹿児島空港が正式名称で、現在霧島市にある鹿児島空港の前身です。鹿児島市民からは「鴨池空港」の愛称で親しまれていました。現在は、鴨池ニュータウンや県の行政機関の集積地となっています。
南さつま市立久木野(くきの)小学校は、かつて南さつま市加世田津貫にあった公立小学校です。旧加世田市と枕崎市の中間に位置し、国道270号線沿いの南北に細長い地域が校区でした。地区の特徴を反映した独特の設備が目白押しの学校でした。