高隈ダムは、鹿児島県鹿屋市にあるかんがい専用ダムです。
不毛のシラス地帯だった笠野原台地に農業用水を送っています。
農林水産省の直轄ダムで、大隅半島では最大規模のダムとなります。
ダム本体
高隈ダムは、堤高47m、堤頂長136mの重力式コンクリートダムです。
クレストローラーゲートは3門です。
中央のゲート1門から放水中でした。
堤頂部は通行止めでした。
2020年(令和2年)7月の梅雨で、右岸側道路が崩れたのかもしれません。
ダムの管理所です。
上流側から見た高隈ダムです。
竣工記念碑です。
大隅湖
ダム湖は「大隅湖」と名付けられています。
大隅湖を周回すると距離は10㎞に及びます。
右岸側には、遊覧ボートが係留されているのが見えます。
大隅湖に整備された施設
鹿児島県アジア・太平洋農村研修センター (カピックセンター)
鹿児島県と鹿屋市が指定管理制で運営する研修施設です。
アジア各国の民族衣装や民族楽器、おもちゃなどを見ることができます。
開館時間 | 午前9:00 ~ 午後5:00 |
料金 | 無料 |
休館日 | 月曜日(祝日の場合翌日)・年末年始 |
バス釣りの聖地
大隅湖は、鹿児島県有数のバス釣りスポットです。
おかっぱり釣りのポイントです。
ローカルルール
2016年(平成28年)の台風16号による被災から更新が止まってしまいました。
フローターでバスフィッシング
笠野原台地
笠野原台地というのは、鹿屋市の北東部に位置する平坦地です。
桜島の東部に位置し、噴火による堆積物でできた、いわゆるシラス台地です。
雨が降ってもシラス層は、ほぼ全部が透過してしまいます。
シラス層の下まで井戸を掘らなければ水は出ません。また、川は深い谷を流れます。
台地上は、水のない不毛地帯でした。
人が住み開発がはじまったのは江戸時代になってからです。
昭和時代に入っても、水がなく開発は進みませんでした。
笠野原農業水利事業
戦後の食糧不足のなか注目されたのが、笠野原台地です。
1951(昭和26)年、農林省は、高隈ダムを水源とするかんがい事業に着手します。
笠野原台地の農家では、期待と不安から町を2分してしまいます。
ダムの建設による水没世帯は約200戸に及びます。
受益地、水没地双方が結集し、反対運動は大規模なものとなりました。
高隈ダムの建設がはじまったのは、1962年(昭和37年)のことでした。
これにより、笠野原台地は、不毛地帯から食糧供給地帯へ変わっていきました。
諸元
名称 | 高隈ダム |
場所 | 鹿児島県鹿屋市上高隈町1981-1 |
水系 | 肝属川 |
河川 | 串良川 |
型式 | 重力式コンクリート |
事業者 | 九州農政局 |
施行者 | 三幸建設工業 |
ダム湖 | 大隅湖 |
目的 | かんがい用水 |
最高出力 (発電) | ― |
堤高 | 47m |
堤頂長 | 136m |
堤体積 | 67千㎥ |
流域面積 | 38.4㎢ |
湛水面積 | 104ha |
総貯水容量 | 13,930千㎥ |
有効貯水容量 | 11,630千㎥ |
着手/竣工 | 1959/1967 |
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