和気(わき)神社は、鹿児島県霧島市牧園町にある神社です。
ご祭神は、平城京から大隅国へ左遷された貴族となります。
天皇の皇族継承を守り、平安京遷都に貢献した人物で、史実上も高く評価されています。
ご祭神・ご利益
ご祭神は、和気清麻呂公命(わけきよまろこうのみこと)となります。
一言でいうと奈良時代から平安時代の貴族で、当時は政治の仕事をしていました。
没後に功績が評価され、護王大明神の神号を与えられます。
京都の護王神社は、清麻呂公をまつったものです。
備前国(現在の岡山県)出身で、岡山県の和気町には、和気一族の氏神である和気神社があります。
清麻呂公が、近くの温泉で足の湯治をし、治っていることから足腰の神さまといわれています。
また、学問・建築・交通安全にご利益があるとされています。
宇佐八幡宮神託事件
宇佐八幡宮神託事件は、中央政界の貴族が、九州でも遠く大隅国にまつられる発端となるできごとでした。
当時の天皇は女帝・称徳(しょうとく)天皇でした。
直系の子供がいない称徳天皇は、皇室に血縁のない道鏡を厚く信頼し、天皇位を譲ろうとします。
そんななか、豊前国(現在の大分県)の宇佐八幡宮から、道鏡を天皇にするようお告げがあったとする報告がありした。
天皇がその確認のため、宇佐八幡宮に送ったのが和気清麻呂公です。
宇佐八幡は、「天皇は必ず皇族から立て、無道の人は早く排除すべき」と、当初のお告げの報告を真っ向から否定しました。
都に戻った和気清麻呂は、そのままを皇室に報告します。
これに怒った称徳天皇は、和気清麻呂を大隅国に左遷したのでした。
この事件により天皇は、道鏡を皇位に就けるのはあきらめたといわれています。
道鏡は称徳天皇の崩御後、失脚しています。
一方、清麻呂公は道鏡の失脚後、都に戻され要職に復帰しています。
猪の伝説
和気清麻呂は、脚が不自由になり、立てなくなった時期がありました。
道鏡が暗殺をもくろみ、歩けないようにしたとの説もあります。
宇佐八幡宮礼拝のため、みこしに乗っていると、300 頭もの猪が現れ列をなして追い越していきました。
神社に参拝すると、不思議なことに立って歩けるようになったそうです。
猪が和気神社や護王神社の守護神となっているのはこのためです。
狛犬ならぬ狛イノシシが置かれています。
日本一の大絵馬
和気神社にお参りされたら、鳥居をくぐる前に現れる絵馬です。
日本一大きな絵馬といわれています。
和気神社の守護神・イノシシと清麻呂公が描かれています。
かなりインパクトのあるおおきさなので、お参りされたら絶対に気づかれると思います。
藤棚
和気神社の境内と周辺には、フジノキが植えられています。
4月下旬から5月上旬にかけて見頃を迎えます。
神社前の公園にもフジノキが植えられています。
開花時期にあわせて、「藤まつり」が開催されます。
そういえば、岡山県の和気神社もフジノキで有名です。
和気神社の紋もフジになっています。
和気ちゃん
社務所の正面には、参道をはさんで白亥殿という建物があります。
中をのぞくと、なんと白いイノシシがお昼寝中でした。
愛称を「和気(わけ)ちゃん」といいます。
白いイノシシは神の使いといわれます。
坂本龍馬の新婚旅行
このあたりは坂本龍馬とお龍夫婦が、日本初といわれる新婚旅行で訪れた地となります。
塩浸温泉あたりから霧島神宮と高千穂峰までを龍馬ハネムーンロードといっています。
写真は塩浸温泉の石碑です。
和気神社の社務所のとなりにも、記念碑がありました。
坂本龍馬が鹿児島を訪れたのは 1866年のことです。
実は、そのころ和気神社はまだありませんでした。
1800年代には、清麻呂公の流されたのは、和気神社の地というのはわかっていました。
和気神社の鎮座は、1946年(昭和 21 年)のことです。
犬飼滝
和気神社の参道入り口に、滝見台という場所があります。
滝見台からは犬飼滝が見えます。
犬飼滝は坂本龍馬が大絶賛した場所です。
滝見台は、滝への遊歩道の入口にもなっています。
300mほどで、犬飼滝滝つぼ展望台です。
滝見台は、和気神社の参道入り口でもあります。
しかし、主に犬飼滝を見る方の駐車場だと思います。
和気神社の駐車場は、もう少し前方に入り口があります。
まとめ
妙見温泉の近くを春頃通ると、和気神社周辺にやけに人が集まっている印象はありました。
その時は、和気神社の「わき」とはいったい何のことだろう?と思っていました。
今回初めてお詣りしてみましたが、見どころが多い神社です。
なんといっても、お神使いのイノシシのおしりがとても素敵でした。
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