鵜毛分校 日向灘沿岸北部広域農道を走っていると見える小さな分校跡
鵜毛(うけ)分校は、かつて宮崎県日向市にあった、平岩小学校の分校です。本校の平岩小学校が小中一貫校として生まれ変わる際、閉校しています。日向灘沿岸北部広域農道を走っていると、、フェンスに掲示された 「鵜毛分校」 の看板が目に入ります。
鵜毛(うけ)分校は、かつて宮崎県日向市にあった、平岩小学校の分校です。本校の平岩小学校が小中一貫校として生まれ変わる際、閉校しています。日向灘沿岸北部広域農道を走っていると、、フェンスに掲示された 「鵜毛分校」 の看板が目に入ります。
山小屋会館というのは、かつて熊本県荒尾市にあった宴会場です。廃墟マニアの間ではけっこう有名な物件となります。レストランと結婚式場をメインとする大人気店で、大相撲九州場所の際には、横綱輪島関一行などが必ず訪れていたといいます。
鷹子神社(たかのこ)神社は、鹿児島県薩摩川内市にある神社です。清浦ダム湖の夢かけ橋を渡って行く、鷹の子岳(422.1m)の登山口に鎮座します。風水を支配する平和の神とされる一方で、中世には軍神として各地から参拝客を集めたといいます。
阿蘇山スキー場というのは、かつて熊本県阿蘇市(旧阿蘇町)にあったスキー場です。昭和時代からあった、九州初の人工スキー場でした。'72年札幌オリンピック後のスキー人口増加や、'80年代のスキーブームで活況を呈しました。
小倉ヶ浜(おぐらがはま)というのは、宮崎県日向市にあるビーチです。サーフィンの聖地・宮崎県のなかでも県北を代表する聖地で、プロサーファーの世界大会の会場です。プロ野球球団のキャンプ地としても知られています。
荒尾二造というのは、東京第二陸軍造兵廠荒尾製造所の略称です。かつて熊本県荒尾市にあった、旧日本陸軍の火薬工場のことです。終戦時には、500棟もの建物があり、約 3,000人もの人が働く巨大工場となっていました。
田之浦中学校は、かつて鹿児島県志布志市にあった公立中学校です。2014年 (平成26年) 旧志布志町の中学校は1校に統合されたため閉校しています。キャッチフレーズは「みんなが主人公・田之浦中」です。
役犬原(やくいんばる)自噴湧水というのは、熊本県阿蘇市にある湧水地です。一帯が湧水地で、家の庭にも水が湧き出しているといいますが、ポケットパーク湧水に注目しました。モニュメントを見るために訪れる人もいる人気スポットです。
三ヶ所 (さんがしょ)神社は、宮崎県五ヶ瀬町にある神社です。宮崎の天孫降臨伝承地・二上山 (ふたがみさん) にまつわる神社となります。近世大工が残した見事な社殿建築と彫刻が見どころです。日本唯一の海馬守りは、現代のストレスから身を守ってくれます。
戸ヶ峯海岸は、 鹿児島県指宿市にある、開聞岳のピューポイントです。またの名を村石海岸といい、 海蝕洞があることでも知られています。ただし海蝕洞のある崖は、崖崩れが発生し危険なので、決して近づかないようにしましょう。
菊池飛行場というのは、かつて熊本県泗水町(現在の菊池市)にあった、旧日本陸軍の飛行場です。福岡県の太刀洗陸軍飛行学校の分教所が置かれ、飛行兵の訓練が行われていました。地元では、花房飛行場ともよばれています。
甲突池(こうつきいけ)というのは、鹿児島市郡山町にある池です。鹿児島市民にとってはおなじみの、あの甲突川の源になります。池からあふれた水は、八重の棚田の間を抜け、鹿児島市街に向けて流れ出しています。