万田坑というのは、熊本県荒尾市にある三井三池炭鉱の坑口です。
明治時代から昭和初期にかけての主力坑口で、1951年(昭和26年)に採炭を終えています。
戦前までの主力坑口
万田坑には日本最大の竪坑が2つ設置され、1902年(明治35年) に出炭がはじまりました。
最盛期には、3500人が従事しています。
しかし、有明海下の鉱脈を掘るようになると、採炭効率が落ちます。
1951年(昭和26年)に、当時の最新技術を投入した三川坑に統合されています。
斜坑だとベルトコンベアで24時間揚炭ができ、竪坑より効率が良いのです。
万田坑は出炭を終えた後も、坑内排水や坑内管理の役割を担っていました。
そのため、1997年(平成9年)の三池炭鉱閉山まで、多くの設備が残っていました。
いくつもあった三池炭鉱の坑口でも、現役時の面影を最も残しています。
万田坑ステーション
万田坑の歴史やジオラマ模型などが展示してある施設です。
万田坑ステーションの見学は無料ですが、 万田坑の場内見学は有料です。
万田坑ステーションの窓口で料金を払います。
利用可能時間 | 9:30~16:30 |
定休日 | 月曜日(祝日の場合は翌日)・年末年始 |
入場料 | 大人 410円 高校生 310円 小中学生 210円 幼児 無料 |
ポンプ室と倉庫
正門から見た通り、場内には解体を免れた建物が残っています。
残念ながら、倉庫およびポンプ室と、安全燈室および浴室は改修中で見ることができませんでした。
裏を返せば、改修後は安全に見学できるということです。
なお、改修前の写真が展示してあります。倉庫およびポンプ室の東側外観です。
排水路の遺構です。
排水路の地下部分です。
安全燈室および浴室
安全燈室および浴室の外観です。
1階の脱衣室です。
同じく1階の安全燈室です。
浴室は以前訪れた際に写真を撮っていました。
2階の乾燥室です。
山の神
万田坑に祀られた山の神神社です。
作業の安全を願い入坑していました。見学のさいも安全祈願をします。
職場
万田坑内の機械のメンテナンスを行っていた建物です。
現役時には通称で 「職場」 とよばれていました。
事務所
建築当初は扇風機室として建てられたもので、事務所になったのは万田坑の採炭終了後です。
全盛期の事務所は、現在の事務所の北側にありました。
北側の壁を見ると、旧事務所の跡形が残っています。
昭和20年代にパッケージ型空調機を取り付けたあたりに、最先端企業の片りんがうかがえます。
第二竪坑櫓
現在も残る鉄塔は、第二竪坑櫓。万田坑のシンボル的存在です。
第一竪坑と比較すると、半分の高さだったといいますが、それでも十分な迫力です。
第二竪坑は、 万田坑での採炭終了後も揚水や坑内管理のため、三池炭鉱閉山まで残されていました。
第二竪坑口
まさに作業員が入坑していた坑口で、石炭も竪坑から運び出されていました。
1997年 (平成9年) の三池炭鉱閉山とともに、 坑口は塞がれています。
奥の電気がついている小屋は、坑口信号所です。
ケージ
第二竪坑入口にあるのは、櫓に取り付けられていた作業員が乗るケージです。
定員は25名です。構内鉄道跡にも1つ置いてあります。
選炭場跡
選炭場だった場所には何も残っていません。
選炭場は、もう少し高い位置にあったのですが、第二竪坑を埋めるために土砂を削ったといいます。
第一竪坑
第一竪坑は、現在も通気用に塞いでいないといわれます。
竪坑は273mありますので、入れないように厳重に囲われています。
現在はもうありませんが、高さ 30.7mの櫓は当時東洋一の高さでした。
1954年 (昭和29年) に解体され、北海道の芦別工業所へ移築されています。
第一竪坑巻揚室
見学することはできませんが、 第一竪坑の奥にもコンクリート造の建物が見えます。
第一竪坑巻揚室や鍛冶場、仕上場があった建物となります。
奥の白い建物は、万田坑採炭終了後に建てられたアソニット跡です。
アソニット跡
アソニットというのは、万田坑と直接の関係はありませんが、間接的に関係します。
1963年 (昭和38年)におきた、 三川港炭塵爆発事故の被害者やご遺族のご婦人が、職を確保できるように、三井が誘致した会社です。
名前からもわかるように、繊維関係の製造業でしたが、 1995年 (平成7年) に操業を停止しています。
万田坑の現役時代には、炭車修繕場があったあたりになります。
デビーポンプ室跡
デビーポンプ室は、電化前の坑内排水ポンプが収納されていた建物ですが、すでに解体されています。
コンクリートの基礎が残っています。
配電所
万田坑は、明治時代は蒸気が主動力でしたが、大正から昭和にかけて電化されています。
この時代、石炭は 「黒いダイヤモンド」 とよばれ、 産業発展にとって欠かせない資源でした。
三井が総力をあげて近代化したのが三池炭鉱です。
汽罐場
万田坑の当初の動力は蒸気でした。
汽罐場(きかんば)のボイラーで造った蒸気を、場内に送っていました。
巻揚室
巻揚室は中に入り、内部を見ることができます。
中には第二竪坑の巻揚機が収められていて、現役時のようすをうかがい知ることができます。
煙突跡
汽罐場で燃やした石炭の排煙をするための煙突です。
1976年 (昭和51年) に解体されています。
その遺構が残されています。
沈殿池
坑内から排水された水は、そのまま川に流すのではなく、いったん沈殿池に貯められていました。
不純物を沈殿させたあと、上水だけを排水しています。
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