祓戸神社 大隅国府近くに創建した大隅国の総社
祓戸神社(はらえどじんじゃ)は、鹿児島県霧島市にある大隅国の総社です。江戸時代までは、守公神社(しゅこうじんじゃ)とよばれていました。名称からも、大和朝廷が国府を置いたのち、総社として国分のそばに創建されたことがわかります。明治時代に祓戸神社となったのは、祓戸四神をまつるためですが、他にも多くの社を統合したと考えられます。
祓戸神社(はらえどじんじゃ)は、鹿児島県霧島市にある大隅国の総社です。江戸時代までは、守公神社(しゅこうじんじゃ)とよばれていました。名称からも、大和朝廷が国府を置いたのち、総社として国分のそばに創建されたことがわかります。明治時代に祓戸神社となったのは、祓戸四神をまつるためですが、他にも多くの社を統合したと考えられます。
東郷小学校は、かつて鹿児島県薩摩川内市東郷町にあった公立小学校です。2019年(平成 31 年)に、薩摩川内市立東郷学園義務教育学校へ移行しています。東郷小学校は、元サッカー日本代表の前園真聖選手の母校になります。東郷小学校時代から県大会で活躍していました。のちにアトランタオリンピックの「マイアミの奇跡」で世界に知られることになります。
宮崎市から都井岬までの、太平洋沿いの道を通称、日南フェニックスロードといいます。名前通り、日南海岸沿いを走るドライブコースです。宮崎市を出発し日南市までで終わりではありません、その先も都井岬まで続いています。日南市南郷町以南の串間市区間を「しあわせ448ハッピーロード」といいます。
大隅線はかつて、志布志駅から国分駅を結んでいた、国鉄のローカル線です。1972年(昭和47年)に、路線総延長98.3㎞を全通させましたが、その15年後に全線廃止されました。その結果、大隅半島の大部分が鉄道空白地帯へ戻っています。2021年(令和3年)に、大隅線の各駅がどうなっているか見てきました。
広沢ダムは、宮崎県東諸県郡綾町にある農業用ダムです。大淀川左岸地区の農地にかんがい用水を送っています。ダム湖は水上スキー場になっています。満水になると本体の上部にある洪水吐から、自然越流するようになっています。洪水吐はダムの横幅いっぱいに広がり、堤体を水が流れ、涼しげで美しい姿をみることができます。
鶴嶺神社(つるがねじんじゃ)は、鹿児島市吉野町の仙厳園にある神社です。仙厳園に入場しなくても参拝できます。島津氏の歴代当主とその家族をまつります。なかでも、第16代島津義久公の娘、持明院さまがまつられることから、美にご利益があるとされ、心身ともに美しくなれるといわれています。
本之牟礼(ほんのむれ)分校は、かつて鹿児島県阿久根市にあった大川小学校の分校です。本之牟礼集落は、西都市の寒川集落と同様、住民が集団移転しています。本之牟礼分校には閉校後、陶芸家の方が長い間住んでいました。集落跡が山林に戻ったのに対し、山間の校舎だけが残る、ポツンと一軒家状態になっているのが印象的です。
長谷観音は、宮崎県西都市三納にある長谷寺のご本尊です。長谷寺は、奈良時代に大和国初瀬山の長谷寺の僧侶、徳道上人が開山したお寺です。大永の大火、領主の衰退、廃仏毀釈による廃寺、枕崎台風と幾度の受難がありましたが、観音さまの頭部は無傷のまま、1300年もの永い間、お堂に安置され続けています。
金山分校(きんざんぶんこう)は、かつて鹿児島県薩摩郡さつま町にあった永野小学校の分校です。300年もの歴史を持つ永野金山ですが、明治時代に近代的な永野製錬所が建てられたこのあたりには、多くの人が住んでいました。金山の閉山により子供たちが減ってしまい、金山分校も役割を終えています。
佐潟の洞窟は、鹿児島県阿久根市にある不思議なほら穴です。ながいながい年月をかけて、海水が岩を浸食してできたものです。阿久根市西目の佐潟地区から、東シナ海に飛び出した岬を佐潟鼻といいます。観光地として訪れる人も少なく、手つかずの自然が残っていて、その風景を秘かに楽しみたいスポットです。
仙厳園は鹿児島県を訪れる人なら誰もが知る、鹿児島市の代表的な観光地です。かつて磯庭園とよばれ、ロープウェイがあったのを知る人は少なくなってきました。数百年前から島津氏の別邸で見事な庭園が造られた名勝です。一般の方が入ることができるようになったのは、昭和時代になってからです。NHKの大河ドラマ「西郷どん」では、多くのシーンが撮影されました。
西内堅分校は、かつて宮崎県えびの市にあった真幸(まさき)小学校の分校です。えびの市は、宮崎県のなかでも、もっとも西に位置する自治体です。なかでも旧真幸町の内堅地区は、そのいちばん西にあった地域です。西内堅分校は、宮崎県最西端の小学校でした。西内堅分校跡には、平屋建ての新旧校舎が残っています。