西南の役激戦地(横川町) 民部塚と川路利良銅像が同居する古戦場
西南の役激戦地というのは、 鹿児島県霧島市横川町にある史跡です。西南戦争の激戦地は各地にあるのですが、 横川町の戦場はそのまま「西南の役激戦地」と表現されています。何の因果か、島津氏以前の領主・北原氏の史跡でもある歴史上の要所です。
西南の役激戦地というのは、 鹿児島県霧島市横川町にある史跡です。西南戦争の激戦地は各地にあるのですが、 横川町の戦場はそのまま「西南の役激戦地」と表現されています。何の因果か、島津氏以前の領主・北原氏の史跡でもある歴史上の要所です。
幸田の棚田というのは、鹿児島県湧水町にある有名な棚田です。江戸時代に組まれた石垣は、城を築いていた石工によるもので水田のお城とよばれています。棚田で作られるコメは、 粘りと光沢のあるヒノヒカリで、 棚田米ブランドで出荷されます。
中茶屋(なかのちゃや)公園とは、 鹿児島県霧島市にある公園です。錦江湾と桜島をながめる展望所的なスポットです。景観がすばらしいだけでなく、薩摩藩の軍事経済上の重要街道として、歴史上も重要な役割を果たした場所です。
伊佐地域は鹿児島の北海道? といわれるほど、涼しい地域です。姶良地域も霧島連山を擁し高原が広がります。比較的涼しいほうが酒造はしやすいのです。第1次焼酎ブームでプレミアム焼酎となった伊佐美もこの地域で造られます。
竈門(かまど)神社は、鹿児島県霧島市にある神社です。最近は、鬼滅の刃の聖地のひとつとされ、訪れる人が増えています。通常は作品のモデル地が聖地となりますが、鬼滅の刃の場合は全国各地に聖地があるのが特徴です。
加治木港は、鹿児島県姶良市にある港です。現在、旅客用の定期便の入港はありませんが、かつては鹿児島港と山川港さらには桜島港を結ぶ、空港ホーバークラフトが運行されていました。残っている斜路は、ホーバークラフトが上陸する際に使っていたものです。
丸尾滝は、鹿児島県霧島市にある滝です。霧島温泉郷や霧島神宮とセットで訪れられる観光地となります。霧島の観光道路・国道 223号線沿いで、丸尾温泉からもすぐ近く訪れやすい場所にあります。流れているのはなんと温泉水です。
国見分校は、かつて旧栗野町(現在の湧水町)にあった、幸田(こうだ)小学校の分校です。国見分校を語るには、同時に国見集落を語らずにはいられません。国見集落は、江戸時代前期に国見金山を開発するために形成された金山集落です。実は最近まで住人がいました。
ラムネ温泉というのは、鹿児島県霧島市にある温泉です。坂本龍馬が訪れた、塩浸温泉(しおひたし)温泉の近くに位置します。営業中のラムネ温泉・仙寿の里とは離れた場所にラムネ温泉のバス停があるのは、旧ラムネ温泉があった場所の名残りです。
蒼林閣というのは、かつて鹿児島県霧島市にあった、大規模宿泊施設です。廃業してから40年前後経過し木造の主棟は倒壊していますが、コンクリート造の宿泊棟や温泉施設が自立していて、当時の面影がしのばれます。残念ながら庭園はヤブの中です。
笹野分校は、かつて鹿児島県伊佐市にあった牛尾小学校の分校です。久七峠はながらく県境の難所でしたが、久七トンネルの開通で便利になりました。しかし笹野分校跡は、道路改良により国道267号線になってしまいました。
姶良伊佐地域は、霧島山に抱かれる温泉地帯です。伊佐市は「鹿児島の北海道」といわれるほど、冬になると南国とは思えない気候になります。ミネラルたっぷりの土壌で、豊かな農産物を育んでいます。