掛橋坂 平成時代まで人々に忘れ去られていた主要街道の石畳
掛橋坂というのは、 鹿児島県姶良市にある旧街道の石畳の坂です。江戸時代に整備された石畳が当時のまま残り、 西郷どんのロケ地にもなっています。明治30年代にう回路が開通し、2011年 (平成23年)に山中に石畳が発見されるまで、人々から忘れ去られていました。
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掛橋坂というのは、 鹿児島県姶良市にある旧街道の石畳の坂です。江戸時代に整備された石畳が当時のまま残り、 西郷どんのロケ地にもなっています。明治30年代にう回路が開通し、2011年 (平成23年)に山中に石畳が発見されるまで、人々から忘れ去られていました。
香梅ヶ渕(こべがふち)というのは、 鹿児島市喜入町の八幡川にある渕です。喜入旧麓の名所のひとつで「鹿児島県内武家屋敷群・麓」の日本遺産認定を受けて脚光を浴びています。手入れも行き届き、とても美しいスポットです。
知覧武家屋敷庭園は、鹿児島県南九州市知覧町にある武家屋敷群です。外城(とじょう)制を敷いた薩摩藩には、郷ごとにミニ城下町が形成されています。なかでも知覧郷の武家屋敷は、当時の姿を色濃く残し、南薩の一大観光地となっています。
熊本県の南東端、球磨郡多良木町槻木(つきぎ)地区の、お大師堂に弘法大師坐像が安置されています。日本遺産人吉球磨の構成文化財のひとつです。お大師堂があるのは、下槻木といわれる集落です。 お大師さんは、残念ながら普段は見ることができません。
里宮神社は、熊本県球磨郡湯前町にある神社です。地元では昔から縁結びの神さまとして知られています。市房山神宮の遥拝所(ようはいしょ)として創建した経緯から、市房山神宮下宮という位置づけになっています。日本遺産人吉球磨地域の構成文化財です。
普門寺観音は、相良三十三観音霊場の25番札所です。市房山神宮と関係が深く、「化け猫騒動」の発端となった普門寺の観音堂です。市房山神宮の遥拝所(ようはしょ)としての機能も有していましたが、1883年に焼失しました。里宮神社建立経緯にも関わります。
龍泉寺観音は、相良三十三観音霊場の24番札所となります。龍泉寺は曹洞宗のお寺で、永国寺の末寺です。現在、龍泉寺の境内にある観音堂は、時代とともに、複数回移されています。現在は、100年以上、龍泉寺の境内にありますので、やっと落ち着いたのかもしれません。
球磨焼酎というのは、熊本県の南部で造られている米焼酎です。貴重な米を原料に500年以上造られ続けたのは、外界から閉ざされた盆地という条件下にあったためといわれています。伝統を守りながらも、時代に合わせ進化してきた焼酎です。
相良三十三観音巡りは、江戸時代に人吉藩で始まった巡礼です。時代による変化がありながらも、今日まで受け継がれています。三十三観音霊場ながらも35の札所があります。記事がさがしやすいようにまとめておきます。最近は観光で巡礼する方も多いと聞きます。参考になれば幸いです。
上里の町観音は、相良三十三観音霊場の26番札所となります。通称「町の観音さん」で、その名の通り湯前町上里の町の中に祀られます。建築に関わった大工さんや、鰐口の寄進者から、西米良村の人々の信仰も集めていたことが伺われます。
永田観音は、相良三十三観音霊場の11番札所です。もともとは、鬼木町芦原の施無畏院(せむいいん)の観音さまでした。現在の聖泉院に移されたのは明治になってからです。今でも「芦原ん観音さん」とよぶ人もいます。公式にも永田観音と芦原観音が併記されています。
清水(きよみず)観音は、相良三十三観音霊場の1番札所です。観音堂は願成寺のすぐそばになります。1603年、相良家20代藩主長毎(ながつね)の立願により、京都清水寺の清水観音を勧請したものです。ご本尊は、永い間人吉城内にありました。明治になってから願成寺に移されたものです。