池田湖 イッシーが潜む九州最大のカルデラ湖
池田湖は、鹿児島県指宿市にある湖です。1970年代、巨大未確認生物イッシーの目撃で脚光を浴びて以来、全国的に知れ渡る観光地として定着しています。必ずしもイッシー見ることはできませんが、飼育層の大ウナギを見ることができます。
池田湖は、鹿児島県指宿市にある湖です。1970年代、巨大未確認生物イッシーの目撃で脚光を浴びて以来、全国的に知れ渡る観光地として定着しています。必ずしもイッシー見ることはできませんが、飼育層の大ウナギを見ることができます。
竹山レストハウスというのは、かつて鹿児島県指宿市山川にあったレストハウスです。周辺は山川砂むし温泉や、スヌーピー山といわれる竹山(202m)がある観光地です。廃業して久しいのですが、今なお建物が現存しています。
南薩地域は、開聞岳と池田湖など大昔の火山活動によってできた特徴ある地形がみられます。と対照的な吹上浜の砂丘地帯など、変化に富む自然に恵まれています。東シナ海の海産物に恵まれ、内陸部の台地では温暖な気候を利用した農産物が育まれています。
台場公園は、枕崎港の東岸に整備された公園です。公園内には蛭子(えびす)神社が鎮座しています。台場といえば東京都港区のお台場が有名ですが、幕末から明治初期に造られた砲台跡を台場といい、日本全国にありました。枕崎市の砲台跡は台場公園になっています。
別府(べっぷ)中学校は、かつて鹿児島県南九州市頴娃(えい)町にあった公立中学校です。閉校後は「地域交流センターはやま」として、再利用されています。とても広い敷地を持っていた学校です。地域交流センターとなってから間もないため、まだ学校の雰囲気がそのまま残っていました。
大戦も戦局が悪化してくると、南方への前線となる鹿児島には数多くの軍事基地が置かれました。沖縄作戦の特別攻撃実施と、米軍の本土上陸作戦に対抗するためです。九州南部には数多くの戦争遺構が残りますが、本記事では、薩摩半島に残る遺構をまとめています。
聖ヶ浦(ひじりがうら)ポケットパークは、鹿児島県南九州市知覧町にある海沿いの公園です。公園にあるのは、旧日本海軍の特攻艇「震洋」のモニュメントです。聖ヶ浦の海岸には、第125震洋隊基地が置かれていたためです。米軍上陸に備えて180名もの隊員が配備される、海からの特別攻撃基地でした。幸い一度も実践で出撃することなく、終戦を迎えています。
万世特攻平和祈念館は、鹿児島県南さつま市に建てられた戦争資料館です。万世飛行場に関わり、戦死した201名のご英霊を祈念しています。万世飛行場は、日本陸軍が吹上浜の松林の中に秘密裏に急造し、4ヶ月で幕を下ろした幻の飛行場です。
OSAKO YUYA stadium は、鹿児島県南さつま市にあるスポーツ施設です。もちろん、世界的サッカープレイヤー、大迫勇也選手にちなんだ名称です。本来は、加世田運動公園陸上競技場だったのですが、市民栄誉賞を贈られた大迫選手が命名権を得たものです。
揖宿(いぶすき)神社は、鹿児島県指宿市にある神社です。706年創建の、歴史ある古社となります。薩摩藩第10代当主、島津斉興(なりおき)公以降、指宿は薩摩藩主御用達の温泉地でした。殿様湯の近くにあったせいか、揖宿神社は島津氏に代々尊崇されています。
指宿海軍航空基地は、かつて鹿児島県指宿市にあった、旧日本海軍の軍事拠点です。防衛線が本土に近づくにつれて、重要性が増した水上機基地でした。現在の休暇村指宿一帯が、かつての海軍航空基地となります。
まのひ飛行場は、鹿児島県南九州市頴娃町にあった、旧日本陸軍の飛行場です。地名から、青戸飛行場とか上別府飛行場ともよばれていました。跡地は農地となり空港の面影はありませんが、米軍上陸に備えてつくられたトーチカが残っています。トーチカは戦後75年を経過した今も、しっかりと原形をとどめたままです。