旧花倉病院 8.6水害を語り継ぐ病院遺構と西郷どんが生き返った漁師の家
旧花倉(けくら)病院は、鹿児島市吉野町にある花倉病院の旧棟です。1993年(平成5年)の8.6水害で被災した後、花倉病院は高台に新築移転しています。解体されずに残る旧花倉病院は、8.6水害を語り継ぐ遺構となっています。
旧花倉(けくら)病院は、鹿児島市吉野町にある花倉病院の旧棟です。1993年(平成5年)の8.6水害で被災した後、花倉病院は高台に新築移転しています。解体されずに残る旧花倉病院は、8.6水害を語り継ぐ遺構となっています。
佐敷港フェリー乗り場は、熊本県葦北郡芦北町にある港です。かつては、上天草市龍ヶ岳町の大道港まで、フェリーで行くことができました。不知火海横断フェリーといい、1日5便の定期航路でしたが、2005年(平成17年)に廃止されています。
小椎葉小学校は、かつて宮崎県西都市にあった公立小学校です。訪れてみると周辺に集落はなく、山中に学校跡だけが現われます。かつては、南へ下ったところに小椎葉集落があったのですが、最近の国勢調査では人口が0となっています。
宮田(みやだ)小学校は、かつて熊本県天草市倉岳町にあった公立小学校です。宮田小学校は、1955年(昭和30年)に倉岳町となる以前の旧宮田村で、ただ一つの小学校でした。とても存在感のある閉校記念碑が残されています。
名越谷(なごしだに)小学校は、かつて熊本県上益城郡砥用町(現在の美里町)にあった公立小学校です。現在、校舎は解体され、名越谷公民館が建てられています。30年以上前に閉校となっていますが、多くの学校遺構が残されています。
東陵中学校は、かつて宮崎県西都市にあった公立中学校です。山の尾根近くにあり、1975年(昭和50年)まで通学路は山道しかありませんでした。現在もたどり着くにはプチ登山を強いられる、伝説の中学校です。
七滝小学校は、かつて熊本県上益城郡御船町にあった公立小学校です。七滝というは、七段の滝「七滝」にちなむ地名ですが、最近は普段は見ることができない幻の滝になっています。七滝小学校の歴史は、新設された七滝中央小学校へ引き継がれています。
宮内小学校は、かつて熊本県上益城郡甲佐町にあった公立小学校です。緑川沿いの急峻な土地に開かれた、学校跡がそのまま残されています。校舎の一部が、宮内社会教育センターとして使われる現役施設です。
中央南小学校は、かつて熊本県下益城郡中央町(現在の美里町)にあった公立小学校です。閉校後は、学校の雰囲気を残した体験型宿泊施設「元気の森かじか」として活用されています。学校の横を流れる釈加院川では、カジカガエルが鳴くことからついた名称です。
坂より上(さかよりうえ)分校は、かつて熊本県八代市東陽町にあった、河俣小学校の分校です。本校である河俣小学校から坂より上分校へ向かうと、まさに坂より上に位置しています。近くの県道沿いには、廃バスが置かれています。
熊延(ゆうえん)鉄道というのは、かつて熊本県にあった私鉄です。南熊本駅から砥用駅に至る鉄道路線を指します。半世紀以上前に廃線となっていてるため、駅跡の姿が変わり正確な場所かはわかりませんでしたが、現在の駅跡周辺を見てきました。
戸馳小学校は、かつて熊本県宇城市にあった公立小学校です。ミニバスケットボールの強豪校として、全国に知られていました。戸馳島では洋ランの栽培が盛んで、フラワーアイランドの異名があるほどです。