ママンマルシェTAKANABE 高鍋町の農林漁商工業が一体となった複合施設
ママンマルシェというのは、宮崎県高鍋町にある物産品の販売所です。買い物目的の方だけでなく、休憩目的の方も訪れる複合施設となっています。「ゴボチ」というゴボウチップスをはじめとしたオリジナル製品の他、全国の簡単には手に入りにくい特産品が並べられています。
ママンマルシェというのは、宮崎県高鍋町にある物産品の販売所です。買い物目的の方だけでなく、休憩目的の方も訪れる複合施設となっています。「ゴボチ」というゴボウチップスをはじめとしたオリジナル製品の他、全国の簡単には手に入りにくい特産品が並べられています。
種雄牛(しゅゆうぎゅう)の慰霊碑というのは、宮崎県家畜改良事業団高鍋種雄牛センターのとなりにある雄牛のお墓です。2010年(平成22年)、口蹄疫により犠牲となった49頭が眠っています。輝かしい宮崎牛の成功の裏には、忘れてはいけない惨劇がありました。
国立療養所宮崎病院附属看護学校というのは、かつて宮崎県川南町にあった国立専修学校です。国立病院の独法移行で閉校となっています。一帯は戦時中に陸軍の4連隊が駐屯し、軍都と化しました。空挺部隊の使っていた給水塔が残っています。
高鍋大師(たかなべだいし)というのは、宮崎県高鍋町にある石像群です。その完成度は別として圧倒的存在感があり、いまや高鍋町の一大観光資源となっています。驚くのはこの700体以上の石像を、たった1人が半世紀をかけて造ったことです。
村所八幡神社は、宮崎県西米良村にある神社です。征西将軍(せいせいしょうぐん)・懐良親王(かねながしんのう)をまつるため、大王さまの愛称を持ちます。米良荘は江戸時代まで米良氏が治め、米良街道を通り参勤交代をしていました。
宮崎県は温暖なだけでなく日照時間も九州一で、農業王国といわれるほど農業が盛んです。独自血統の宮崎牛や10銘柄のブランドポーク、ブランド鶏など畜産王国ともよばれています。県内のおいしいものが集まるのが、宮崎市を中心とした中部地域です。
尾八重(おはえ)小中学校は、かつて宮崎県西都市にあった公立学校です。同名の小学校が椎葉村にもありましたが、本記事は旧東米良村の尾八重小学校について書いています。1982年(昭和 57年)閉校ですが、なんとも程度の良い木造校舎が現存します。
小椎葉小学校は、かつて宮崎県西都市にあった公立小学校です。訪れてみると周辺に集落はなく、山中に学校跡だけが現われます。かつては、南へ下ったところに小椎葉集落があったのですが、最近の国勢調査では人口が0となっています。
尾八重牧場というのは、宮崎県西都市尾八重にある牧場です。2010年(平成22年)に、宮崎県で口蹄疫が発生した際、スーパー種牛が避難していた場所です。唯一感染したエース中のエース「忠富士」は、ここに埋葬されています。
東陵中学校は、かつて宮崎県西都市にあった公立中学校です。山の尾根近くにあり、1975年(昭和50年)まで通学路は山道しかありませんでした。現在もたどり着くにはプチ登山を強いられる、伝説の中学校です。
高鍋駅は、宮崎県児湯郡にある、JR九州日豊本線の駅です。大戦中に空襲にあい、旧駅舎を失っています。現在の駅舎は、戦後1947年(昭和22年)に建てられたものです。以後永い間、高鍋町の戦後の姿を見てきました。
蚊口浜は、宮崎県高鍋町にある海岸です。夏には海水浴場がオープンするほか、サーフポイントとして年間通じて人が集まります。蚊口浜公園は、大部分がキャンプ場として開放されています。管理人常駐ではありませんが、手入れが行き届いていました。