CATEGORY

地域ブログ

宮崎八幡宮 宮崎市の中心部にある市民の氏神

宮崎八幡宮は、宮崎県宮崎市宮田町にある神社です。宮崎市の中心部にある古社で、古来より現在に至るまで宮崎市民に親しまれている神社となります。県庁は目と鼻の先です。宮崎駅へも橘通りへも徒歩圏内であり、まさに宮崎市の氏神です。鳥居の真ん前が駐車場なのですが、周辺は一方通行が多いので交通違反をしないよう注意が必要です。

松ヶ浦シーサイドパーク 四角場浜の石灰焼釜

松ヶ浦シーサイドバークは、鹿児島県南九州市にある公園です。この海岸を四角場浜といい、明治時代まで使われていた石灰焼釜(へやっがま)を見ることができます。へやっがまというのは、海岸でとれたサンゴ石を原料に石灰をつくっていた釜のことです。しかし、へやっがまは砂とヤブに覆われ、一部を残して秘密のベールに包まれています。

深年小学校 閉校時のまま一般社団法人が入居

深年(ふかどし)小学校は、かつて宮崎県東諸県郡国富町にあった町立小学校です。現在も敷地内には、閉校時のままの景色が残っています。校舎は現在、一般社団法人が使っていますので、空室ではありません。入居しているのはアグリサンアカデミアという会社です。

知林ヶ島 消えても再び現れる不思議なちりりんロード

知林ヶ島というのは、鹿児島県指宿市の沖合にある無人島です。九州本土と砂州でつながり、歩いて渡ることができます。この砂州は「ちりりんロード」と名付けられているのですが、干潮時、毎回現れるわけではありません。出現には条件があります。

くま川鉄道 くま鉄グッズを買って復旧を応援

くま川鉄道には、オンラインショップがあります。2020年(令和2年)7月4日の豪雨災害以降、鉄道は運休中です。乗車できなくても、オンラインショップは営業中です。くま鉄グッズを買うことで、復旧を後押しすることができます。

くま川鉄道湯前線 長期運休中の鉄道駅

くま川鉄道というのは、熊本県の南部を東西に走る第3セクターの鉄道路線です。2020年(令和2年)7月豪雨で全線運休となり、代替輸送バスを運行しています。被災から1年近くなり鉄道路線としては、湯前線史上最長の運休期間となりました。現在の全14駅の様子を見てきました。なお、2021年(令和3年)のうちには、一部区間で運行が再開される予定です。

本戸小学校 国分川内の山間に残る木造校舎

本戸(ほんど)小学校は、かつて鹿児島県霧島市国分川内にあった公立小学校です。1981年(昭和56年)の閉校後は本戸公民館となりました。敷地内には当時の木造校舎の一部が保存され、学校の雰囲気が大事に残されています。

郡山八幡神社 歴史に残る焼酎好きな大工の落書き

郡山八幡神社は、鹿児島県伊佐市にある神社です。「けちんぼ座主が焼酎も飲ません」という、焼酎落書きで有名です。1954年(昭和29年)に本殿の復元工事をした際、木片に書かれた大工の落書きがみつかりました。そのため愛称は「焼酎神社」となっています。

大隅半島の戦争遺構 本土決戦に向けて築かれた軍事施設群

九州南部には、大戦終盤になると米軍の上陸作戦に備え、多くの軍事施設がつくられました。大隅半島には、終戦後75年を経過した現在も、その遺構が数多く残されています。遺構群は、我が国を守るために戦った戦没者や遺族の想いを振り返らせてくれます。そして何より、同じ悲劇を繰り返さないために活かされています。

野下小学校 市比野温泉と串木野の間にあった山間の小学校

野下小学校は、かつて鹿児島県薩摩川内市樋脇町にあった公立小学校です。市比野温泉と串木野市街の中間にある、野下地区の学校でした。藩政下には、木炭の産地として知られています。野下小学校は閉校後、ボーイスカウト鹿児島連盟の野営場となっています。

吾平鵜戸神社 皇祖上陵に由来する吾平町の郷社

吾平鵜戸神社は、鹿児島県鹿屋市にある神社です。鵜芽草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の陵墓・吾平山上陵(あいらのやまのえのみささぎ)のある吾平町に鎮座します。上陵内にあった社が旧吾平町役場横へ遷ったのは明治時代初期のことです。

風車村 旧坊津町の観光リゾートプール

風車村は、かつて鹿児島県南さつま市坊津町にあったレジャー施設です。風光明媚な岬の突端に、大きなウォータースライダーを備えたリゾート感満載のプールと、ブルガリアのバズルジャを彷彿とさせる円形展望台が残されています。