指宿海軍航空基地は、かつて鹿児島県指宿市にあった、旧日本海軍の軍事拠点です。
防衛線が本土に近づくにつれて、重要性が増した水上機基地でした。
指宿飛行場
現在の休暇村一帯が、かつての海軍航空基地となります。
指宿海軍航空基地のメインとなる施設は、指宿飛行場です。
戦前にはすでに海軍の仮設臨時基地として、飛行場がつくられていました。
開戦後に水上機基地として、本格的に整備されています。
1944年(昭和19年)には水上機が配備され、索敵や対潜哨戒を行っていました。
配備機
水上機というのは、水の上で離着水できる航空機です。
当時の日本の水上機は、傑作続きだったといわれています。
零式水上偵察機 引用:wikipedia
指宿海軍航空基地に配備されていた機体は、以下の通りです。
零式水上偵察機
零式水偵は、大戦中を通して活躍した水上機です。
通算1,423機も生産され、偵察任務だけでなく、船団護衛や対潜哨戒任務に使われました。
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九四式水上偵察機
九四水偵は、1935年(昭和10年)から終戦まで、長期間運用された偵察機です。
抜群の安定性と、高い稼働率を誇った機体です。
零式水上観測機
零式水上観測機、通称「零観」の本来の目的は、戦艦の着弾観測です。
複葉機ゆえに無類の安定性があり、水上機ながら高い空戦能力を持っていました。
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二式飛行艇
二式飛行艇は、通称「二式大艇」とよばれた大型飛行艇です。
長い航続距離と、高い運動性能を併せ持っていました。
さらに重武装と防衛性能から、「空飛ぶ戦艦」といわれた美しい機体です。
指宿飛行場では、二式大艇の操縦訓練が行われていました。
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瑞雲
瑞雲(ずいうん)は、偵察機に急降下能力を持たせ、爆撃任務もできる新鋭機です。
艦これ8周年おめでとうございます。
— KUROSIRO (@kurosiro0801) April 23, 2021
八景島で開催された瑞雲祭りは艦これイベントでも1番の思い出です。
いつか生のボクカワウソも見たい…。 pic.twitter.com/ddIkpF3dsg
当時の水上機としての性能は世界一で、「傑作」といわれています。
艦これ製瑞雲。すごく意味が分からない。国内有数の遊園地が『瑞雲ハイランド』と化し緑の法被を着た提督たちが瑞雲の周りで艦娘音頭を踊る!もうこれかなりヤバイ宗教団体にしか見えんやろ。瑞雲って現存してないから貴重ではあるんやけどね。 pic.twitter.com/uRAbChBI1J
— 龍驤の偏見で語る艦娘bot (@HenkenRJ_bot) June 11, 2021
しかし、戦況の悪化で制空権を失い、瑞雲の活躍できる場は限られていました。
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特別攻撃基地
本上決戦が近づくにあたり、九州にあった各航空基地には、特別攻撃隊が編成されました。
指宿海軍航空基地も例にもれず、特別攻撃の発進基地となっています。
しかし、指宿飛行場は水上機基地であったため、戦闘機は配備されていません。
水上機は着陸脚の代わりにフロートがあるせいで、戦闘機に比べると運動性能が劣ります。
指宿海軍航空基地を発った特別攻撃機は、もちろん水上機でした。
本土防衛
指宿海軍航空基地は、沖縄戦がはじまると南西諸島索敵の要衝基地となります。
他基地からも増援部隊が派遣されています。
新型水上偵察機となる、瑞雲も配備されました。
しかし、1945年(昭和20年)には、米軍が沖縄本土に上陸します。
制海権と制空権が米軍に渡ると、九州本土への空襲が本格化しました。
指宿海軍航空基地は、同年3月にB29の爆撃により、壊滅的な打撃を受けて使用不能となりました。
哀惜の碑
防空壕跡の丘の上は慰霊碑公園で、「指宿海軍航空基地哀惜の碑(せきあいのひ)」が建てられています。
特別攻撃による82 名の英霊と、100人以上の敵機攻撃による殉職隊員の慰霊碑です。
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