まのひ飛行場は、鹿児島県南九州市頴娃(えい)町にあった、旧日本陸軍の飛行場です。
地名から、青戸(あおと)飛行場とか上別府飛行場ともよばれていて、現在も戦争遺構を見ることができます。
まのひ飛行場とは?
まのひ飛行場は、かつて旧穎娃町上別府青戸の加治佐原(かっちゃばい)という場所にあった飛行場です。
そのため、青戸飛行場とか、上別府飛行場ともよばれています。
大戦終盤、旧陸軍は九州本土への米軍上陸を見据えて、南九州の軍備を整えていました。
知覧飛行場には、2000m 滑走路が1本しかなく、気象条件では離着陸ができないことがありました。
また、特別攻撃作戦で手狭にもなっていたため、枕崎周辺に飛行場をつくる計画が持ち上がりました。
結果、建設されたのが、まのひ飛行場です。
「まのひ」は暗号
地名でいうと、青戸飛行場または上別府飛行場であり、「まのひ」というのは、旧陸軍の暗号です。
知覧飛行場は「【ち】らん【の】【ひ】こうじょう」で「ちのひ」。
計画では枕崎飛行場だったので、「【ま】くらざき【の】【ひ】こうじょう」で「まのひ」です。
枕崎より青戸のほうが飛行場に適していたので建設がはじまったのですが、空港名は「まのひ」がそのまま使われました。
未成飛行場
まのひ飛行場の着工は、1944年(昭和 19年)8月です。
完成を急いだため、多くの人が建設に携わりました。
その数は1日1万人ともいわれています。
しかし、機械が足りず人力での工事であったため、工事は遅々として進みませんでした。
1945年(昭和 20年)3月になると、当初は想定していなかった米軍の空襲に見舞われます。
同年8月、まのひ飛行場は、未完成のまま終戦を迎えることになりました。
現在のまのひ飛行場
現在のまのひ飛行場は、茶畑などの農地になっています。
滑走路の一部が道路になっています。
わかりやすい遺構としてトーチカが残されています。
第1トーチカ
まのひ飛行場の案内板から見えるトーチカです。
農地の中にあるため、近づくことはできません。
第2トーチカ
滑走路の脇にあったトーチカは、近くで見ることができます。
空港のトーチカは、本土決戦を覚悟したものでしょう。
敵の航空機の着陸時や、敵兵が空港を制圧する際に攻撃を仕掛ける陣地です。
トーチカは戦争が長期化し、鉄材が乏しくなったため、竹材を骨組みにしています。
コンクリートには、洗い骨材を混ぜてあることがわかります。
75年経った現在もしっかりしているので、良質のコンクリートを使っていたのでしょう。
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