大河平(おこびら)小学校は、かつて宮崎県えびの市ににあった公立小学校です。
大河平は、日向国と薩摩国の間で、戦いの最前線となってきた地域です。
大河平地区
大河平は、地理的に日向国と薩摩国の間にあり、戦いの歴史が残る土地です。
その大河平城の城主が大河平氏です。
1562年、大河平城は守りが固くなかったため、谷を挟んだ丘陵地に今城を築きます。
1564 年に、日向国内に 48 の支城を持ち、日向の完全支配を目指す伊藤氏が今城を侵めます。
これを今城合戦とよんでいます。
この今城合戦で大河平氏一族の多くが亡くなっています。
その後、伊藤氏は島津氏の影響下にあった、飯野城や加久藤城(いずれも現在のえびの市)を攻めあぐねます。
今城は、家人によって救い出された大河平氏の親族によって再興されています。
大河平事件
1877年の西南戦争では、大河平氏は薩軍として官軍と対峙しています。
官軍が大河平まで侵入すると不利となる薩軍は、大河平氏に命じ自ら大河平の村に火をかけてしまいます。
大河平氏は、これを聞かされていなかった臣下のものに、一族とも刺殺されてしまいます。
その後、臣下のものは官軍に投降しています。
この事件により、大河平氏と官軍の内通が疑われ、大河平士族は薩軍から処断されました。
大河平つつじ
大河平小学校の生け垣として植えられているのが、大河平つつじです。
領主・大河平氏が邸宅を造る際、霧島山中のキリシマツツジのうち見事なものだけを集めて庭木にしたのがはじまりといわれています。
別名を「血潮ツツジ」といいます。
大河平の歴史をみてきたためか、花が真っ赤に染まっているといわれます。
不思議なことに、大河平以外の場所に植えると、真っ赤にならないそうです。
おこびらつつじの見ごろは、4月中旬から5月上旬です。
沿革
2008年(平成20年) 休校
2015年(平成27年) 廃校
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