山ケ野金山 集落全体が金山の歴史を伝える史跡
山ケ野金山というのは、かつて鹿児島県霧島市横川町にあった金鉱山です。なんと、鎌倉時代から金が採れていた日本有数の金山でした。金山で栄えた山には多くの人が集まり町ができました。金山街は、閉山した現在も山ケ野集落として残っており、多くの遺構群を見ることができます。
山ケ野金山というのは、かつて鹿児島県霧島市横川町にあった金鉱山です。なんと、鎌倉時代から金が採れていた日本有数の金山でした。金山で栄えた山には多くの人が集まり町ができました。金山街は、閉山した現在も山ケ野集落として残っており、多くの遺構群を見ることができます。
剱(つるぎ)神社は、鹿児島県県霧島市国分敷根にある神社です。社名は、主祭神である日本武尊(やまとたけるのみこと)の剱に由来します。熊襲を偵察中の日本武尊が、剱を抱きながら野営をしていたのが現社地の北東にある、剣岩とされています。
比曽木野(ひそきの)小学校は、かつて鹿児島県霧島市福山町にあった公立小学校です。40年以上も前に学校としての役目は終えていますが、現在でも一見して学校跡とわかる雰囲気が残っています。
福沢小学校は、かつて鹿児島県霧島市福山町にあった公立小学校です。40年近く前に閉校し、校舎こそ残っていませんが、広い跡地には多くの学校遺構が残されています。閉校記念碑に刻まれた文字は、「百有余年 福沢の子ら この地に学ぶ」です。
本戸(ほんど)小学校は、かつて鹿児島県霧島市国分川内にあった公立小学校です。1981年(昭和56年)の閉校後は本戸公民館となりました。敷地内には当時の木造校舎の一部が保存され、学校の雰囲気が大事に残されています。
郡山八幡神社は、鹿児島県伊佐市にある神社です。「けちんぼ座主が焼酎も飲ません」という、焼酎落書きで有名です。1954年(昭和29年)に本殿の復元工事をした際、木片に書かれた大工の落書きがみつかりました。そのため愛称は「焼酎神社」となっています。
熊本・宮崎・鹿児島の3県を同時に訪れることができるスポットをご存じでしょうか?それが熊本・宮崎・鹿児島の三県境です。まさに、九州南部究極のマイナースポットです。
紫尾(しび)神社は、鹿児島県出水市高尾野町にある神社です。紫尾山の北西山麓に鎮座する、国史見在社(こくしけんざいしゃ)となります。紫尾山をご神体とする山岳信仰が発祥で、紫尾山の対麓にあるさつま町の紫尾神社と同名社になります。朱色の社殿と見事なご神木が印象的な神社です。
鹿児島五社というのは、鹿児島市の上町(かんまち)地区にある、5つの神社のことです。薩摩藩主島津家ではじまった五社参りは、領主一族と家臣の風習でしたが、次第に一般庶民にも広がったものです。明治時代以降は市街が南へ広がり車社会になったことで、薩摩藩時代の社勢はありませんが、5社ともに現存し往時の名残を伝えています。
祓戸神社(はらえどじんじゃ)は、鹿児島県霧島市にある大隅国の総社です。江戸時代までは、守公神社(しゅこうじんじゃ)とよばれていました。名称からも、大和朝廷が国府を置いたのち、総社として国分のそばに創建されたことがわかります。明治時代に祓戸神社となったのは、祓戸四神をまつるためですが、他にも多くの社を統合したと考えられます。
大隅線はかつて、志布志駅から国分駅を結んでいた、国鉄のローカル線です。1972年(昭和47年)に、路線総延長98.3㎞を全通させましたが、その15年後に全線廃止されました。その結果、大隅半島の大部分が鉄道空白地帯へ戻っています。2021年(令和3年)に、大隅線の各駅がどうなっているか見てきました。
鹿児島県と宮崎県にはクレープの自動販売機があります。スーパーセンターニシムタ大口店で見かけたので、食べてみました。自動販売機なので24時間365日、いつでも買うことができます。しかも実際のお店みたいに、待ち時間がありません。自動販売機とはいえメニューはバラエティに富んでいます。お味のほうもとてもナイスでボリュームも兼ね備えています。