高尾小学校 現役時の姿を残す旧輝北町市成東部の学校
高尾小学校は、かつて鹿屋市輝北町にあった公立小学校です。市成地区の東部を校区としていました。2011 年に輝北町内の4小学校が、新設された鹿屋市立輝北小学校に統合されたため、閉校しています。学校跡は現役時の姿をよく残しています。
高尾小学校は、かつて鹿屋市輝北町にあった公立小学校です。市成地区の東部を校区としていました。2011 年に輝北町内の4小学校が、新設された鹿屋市立輝北小学校に統合されたため、閉校しています。学校跡は現役時の姿をよく残しています。
高松中学校は、かつて宮崎県日之影町にあった公立中学校です。日本一のアーチ橋「天翔大橋(てんしょうおおはし)」のかかる谷にあった学校です。2004年(平成16年)に相次ぐ台風で通学路が崩壊し、急遽日之影中学校との統合が決まっています。
赤池小学校は、かつて宮崎県串間市にあった公立小学校です。あの幻の新谷分校の本校なのですが、本校も大束小学校と統合し閉校しています。現在は、串間市赤池地区活性化センターへ転身し、相変わらず地域に貢献しています。
高千穂線というのは、かつて宮崎県延岡市と高千穂町を結んでいた鉄道路線です。2005年(平成17年)9月、台風14号により被災し、2008年(平成20年)に全線が廃止されました。営業キロはちょうど50㎞・全19駅の現在の姿を残しておきます。
比曽木野(ひそきの)小学校は、かつて鹿児島県霧島市福山町にあった公立小学校です。40年以上も前に学校としての役目は終えていますが、現在でも一見して学校跡とわかる雰囲気が残っています。
指宿海軍航空基地は、かつて鹿児島県指宿市にあった、旧日本海軍の軍事拠点です。防衛線が本土に近づくにつれて、重要性が増した水上機基地でした。現在の休暇村指宿一帯が、かつての海軍航空基地となります。
まのひ飛行場は、鹿児島県南九州市頴娃町にあった、旧日本陸軍の飛行場です。地名から、青戸飛行場とか上別府飛行場ともよばれていました。跡地は農地となり空港の面影はありませんが、米軍上陸に備えてつくられたトーチカが残っています。トーチカは戦後75年を経過した今も、しっかりと原形をとどめたままです。
福沢小学校は、かつて鹿児島県霧島市福山町にあった公立小学校です。40年近く前に閉校し、校舎こそ残っていませんが、広い跡地には多くの学校遺構が残されています。閉校記念碑に刻まれた文字は、「百有余年 福沢の子ら この地に学ぶ」です。
南薩鉄道というのは、かつて鹿児島県にあった私鉄です。南薩鉄道といえば、薩摩半島の西岸を縦貫していた枕崎線が有名です。しかし、過去には知覧線と万世線という東西に走る路線がありました。いずれも半世紀以上前に廃線となっていて、遺構らしい遺構は残っていません。
深年(ふかどし)小学校は、かつて宮崎県東諸県郡国富町にあった町立小学校です。現在も敷地内には、閉校時のままの景色が残っています。校舎は現在、一般社団法人が使っていますので、空室ではありません。入居しているのはアグリサンアカデミアという会社です。
本戸(ほんど)小学校は、かつて鹿児島県霧島市国分川内にあった公立小学校です。1981年(昭和56年)の閉校後は本戸公民館となりました。敷地内には当時の木造校舎の一部が保存され、学校の雰囲気が大事に残されています。
九州南部には、大戦終盤になると米軍の上陸作戦に備え、多くの軍事施設がつくられました。大隅半島には、終戦後75年を経過した現在も、その遺構が数多く残されています。遺構群は、我が国を守るために戦った戦没者や遺族の想いを振り返らせてくれます。そして何より、同じ悲劇を繰り返さないために活かされています。