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遺構

高松中学校 天翔大橋のかかる渓谷の学校

高松中学校は、かつて宮崎県日之影町にあった公立中学校です。日本一のアーチ橋「天翔大橋(てんしょうおおはし)」のかかる谷にあった学校です。2004年(平成16年)に相次ぐ台風で通学路が崩壊し、急遽日之影中学校との統合が決まっています。

まのひ飛行場 トーチカの残る未完成飛行場

まのひ飛行場は、鹿児島県南九州市頴娃町にあった、旧日本陸軍の飛行場です。地名から、青戸飛行場とか上別府飛行場ともよばれていました。跡地は農地となり空港の面影はありませんが、米軍上陸に備えてつくられたトーチカが残っています。トーチカは戦後75年を経過した今も、しっかりと原形をとどめたままです。

福沢小学校 百有余年福沢の子らが学んだ証拠

福沢小学校は、かつて鹿児島県霧島市福山町にあった公立小学校です。40年近く前に閉校し、校舎こそ残っていませんが、広い跡地には多くの学校遺構が残されています。閉校記念碑に刻まれた文字は、「百有余年 福沢の子ら この地に学ぶ」です。

知覧線と万世線 南薩鉄道の古い廃線の駅跡

南薩鉄道というのは、かつて鹿児島県にあった私鉄です。南薩鉄道といえば、薩摩半島の西岸を縦貫していた枕崎線が有名です。しかし、過去には知覧線と万世線という東西に走る路線がありました。いずれも半世紀以上前に廃線となっていて、遺構らしい遺構は残っていません。

深年小学校 閉校時のまま一般社団法人が入居

深年(ふかどし)小学校は、かつて宮崎県東諸県郡国富町にあった町立小学校です。現在も敷地内には、閉校時のままの景色が残っています。校舎は現在、一般社団法人が使っていますので、空室ではありません。入居しているのはアグリサンアカデミアという会社です。

本戸小学校 国分川内の山間に残る木造校舎

本戸(ほんど)小学校は、かつて鹿児島県霧島市国分川内にあった公立小学校です。1981年(昭和56年)の閉校後は本戸公民館となりました。敷地内には当時の木造校舎の一部が保存され、学校の雰囲気が大事に残されています。

大隅半島の戦争遺構 本土決戦に向けて築かれた軍事施設群

九州南部には、大戦終盤になると米軍の上陸作戦に備え、多くの軍事施設がつくられました。大隅半島には、終戦後75年を経過した現在も、その遺構が数多く残されています。遺構群は、我が国を守るために戦った戦没者や遺族の想いを振り返らせてくれます。そして何より、同じ悲劇を繰り返さないために活かされています。