神瀬石灰洞窟と岩戸熊野座神社 人吉球磨唯一の国名勝
神瀬(こうのせ)石灰洞窟は、熊本県球磨村にある鍾乳洞のひとつです。人吉球磨地域唯一の国名勝となります。洞窟内には、岩戸熊野座神社が鎮座しています。日本最大の洞口をもつ、パワースポット感満載のまさに名勝地となっています。
神瀬(こうのせ)石灰洞窟は、熊本県球磨村にある鍾乳洞のひとつです。人吉球磨地域唯一の国名勝となります。洞窟内には、岩戸熊野座神社が鎮座しています。日本最大の洞口をもつ、パワースポット感満載のまさに名勝地となっています。
相良三十三観音巡りは、江戸時代に人吉藩で始まった巡礼です。時代による変化がありながらも、今日まで受け継がれています。三十三観音霊場ながらも35の札所があります。記事がさがしやすいようにまとめておきます。最近は観光で巡礼する方も多いと聞きます。参考になれば幸いです。
上里の町観音は、相良三十三観音霊場の26番札所となります。通称「町の観音さん」で、その名の通り湯前町上里の町の中に祀られます。建築に関わった大工さんや、鰐口の寄進者から、西米良村の人々の信仰も集めていたことが伺われます。
一勝地阿蘇神社は、森林が87%を占める村の土地柄からか、そう大きな敷地ではありません。にもかかわらず、参拝される方の多い神社です。「地に足をつけまず一勝を」ということで、受験や部活の大会をひかえた学生さんや、親御さんが特に多くいらっしゃってます。
永田観音は、相良三十三観音霊場の11番札所です。もともとは、鬼木町芦原の施無畏院(せむいいん)の観音さまでした。現在の聖泉院に移されたのは明治になってからです。今でも「芦原ん観音さん」とよぶ人もいます。公式にも永田観音と芦原観音が併記されています。
岡本城というのは、球磨郡あさぎり町岡原南にある中世の城跡です。岡本諏訪神社のある場所は、岡本城の一部でした。城郭は神社よりさらに高いところにあったと考えられます。岡本城跡には、岡本地区に隠居した相良家の家老清兵衛どんの墓があります。相良家存続に多大な貢献を果たした人物と評されています。
清水(きよみず)観音は、相良三十三観音霊場の1番札所です。観音堂は願成寺のすぐそばになります。1603年、相良家20代藩主長毎(ながつね)の立願により、京都清水寺の清水観音を勧請したものです。ご本尊は、永い間人吉城内にありました。明治になってから願成寺に移されたものです。
願成寺は、1233年、相良家初代領主、相良長頼によって創建されたお寺です。願成寺は人吉城からみて、丑寅(北東)の方角にあたります。鬼門を守護する意味も含めて、氏寺としたといわれています。敷地の大部分は相良家墓地です。さらに登ると大村平家城跡です。
瀬原観音は、相良三十三観音霊場の10番札所となります。旧来からの人吉市街にあり、現在も観光ホテルが並ぶ、人吉の商業地域の代表スポットにあります。境内の「ガランさま」と呼ばれる石塔は、耳の病気や、咳にご利益があるといわれています。
村山観音は、相良三十三観音霊場の9番札所です。期間限定開帳の観音さまが多い中、常時開帳してある貴重な観音さまです。村山観音は、元をたどると、観琳寺というお寺が由来です。現在は歓蓮寺になっていて、周辺は村山台地の一大聖域です。
寅御前(とらごぜん)は、平家の侍、平景清(たいらのかげきよ)の母です。熊本県球磨郡あさぎり町に、寅御前のお墓があります。あさぎり町民は、このお墓のことを寅御前とよんでいます。「目の神様」として知られたスポットです。
中尾観音は、相良三十三観音霊場の2番札所です。相良家第21代領主、頼寛(よりひろ)の霊を弔うため祀られた観音さまです。一帯の墓地の中には「源兵衛さんのお墓」があり、受験シーズンのは合格祈願のお参りが増えます。お参りにはサトイモと焼酎を備えるのがならわしとなっています。