幸田小学校国見分校 平成時代まで住人がいた廃村国見の学校
国見分校は、かつて旧栗野町(現在の湧水町)にあった、幸田(こうだ)小学校の分校です。国見分校を語るには、同時に国見集落を語らずにはいられません。国見集落は、江戸時代前期に国見金山を開発するために形成された金山集落です。実は最近まで住人がいました。
国見分校は、かつて旧栗野町(現在の湧水町)にあった、幸田(こうだ)小学校の分校です。国見分校を語るには、同時に国見集落を語らずにはいられません。国見集落は、江戸時代前期に国見金山を開発するために形成された金山集落です。実は最近まで住人がいました。
ラムネ温泉というのは、鹿児島県霧島市にある温泉です。坂本龍馬が訪れた、塩浸温泉(しおひたし)温泉の近くに位置します。営業中のラムネ温泉・仙寿の里とは離れた場所にラムネ温泉のバス停があるのは、旧ラムネ温泉があった場所の名残りです。
蒼林閣というのは、かつて鹿児島県霧島市にあった、大規模宿泊施設です。廃業してから40年前後経過し木造の主棟は倒壊していますが、コンクリート造の宿泊棟や温泉施設が自立していて、当時の面影がしのばれます。残念ながら庭園はヤブの中です。
笹野分校は、かつて鹿児島県伊佐市にあった牛尾小学校の分校です。久七峠はながらく県境の難所でしたが、久七トンネルの開通で便利になりました。しかし笹野分校跡は、道路改良により国道267号線になってしまいました。
姶良伊佐地域は、霧島山に抱かれる温泉地帯です。伊佐市は「鹿児島の北海道」といわれるほど、冬になると南国とは思えない気候になります。ミネラルたっぷりの土壌で、豊かな農産物を育んでいます。
福地小学校は、かつて鹿児島県霧島市福山町にあった公立小学校です。現在は福地地区公民館になっています。閉校から40年以上経過していて、残される学校遺構はごくわずかになっています。学校跡の名残りが消え失せていく過程を感じます。
帖佐八幡神社は、鹿児島県始良市にある神社です。鍋倉八幡神社や新正八幡宮の名前でよばれることもあります。鎌倉時代からの帖佐郷領主平山氏の居城である平山城の守護神でしたが、島津氏に敗れ一時衰退します。戦国時代から江戸時代に、島津義弘が再興しています。
高木小学校は、かつて鹿児島県霧島市横川町にあった公立小学校です。高木地区は金の採鉱で栄えた、山ヶ野金山の集落の一角です。戦後、金山を失った高木地区は、急速に過疎化がすすむことになりました。高木小学校は、1963年(昭和38年)に横川町立安良小学校と統合し閉校しています。
黒島神社は、鹿児島県始良市上名にある神社です。創建経緯からみると福岡の宗像大社の流れをくんでいます。福岡県の志賀島から移り住んだ鈴木三郎政良が創建しており、宗像三女伸のうち2柱がご祭神となっています。永年の間に仏教や庚辰信仰、地域の土着信仰が融合し、独自の発展を遂げています。
山ケ野小学校は、かつて鹿児島県島市横川町にあった公立小学校です。金山が栄えたことで、山間にできあがった一大集落の学校でした。金山の閉山により急速に過疎化が進み、1971年(昭和46年)に閉校しています。50年も前に閉校した山ケ野小学校ですが、なんと木造校舎の一部が現存しています。
大隅五社というのは、大隅国を代表する神社として領民が崇拝してた神社です。古代の天孫伝説に中世以降の伝説が重なり、大隅国を代表する五社とされています。
加治木春日神社は、鹿児島県姶良市加治木町にある神社です。創建は島津氏の下行以前、平安時代のことです。都から加治木に赴任した藤原氏が、大和国(現在の奈良県)の春日大社を勧請したのものです。のちに島津氏も篤く崇拝した加治木の総社です。