吾平(あいら)鉄道記念公園は、鹿屋市吾平町麓にある公園です。
かつての大隅線吾平駅跡を利用していて、気動車と車掌車が保存されています。
吾平駅跡
公園の整備状態は「すばらしい」の一言です。
芝生がサッカー場のように美しく整えられています。
しかし、廃線から30年以上経過した駅跡です。
かつては、隣接地に吾平鉄道記念館が併設され、大隅線の歴史を伝えていました。
しかし、2015年(平成27年)に閉館しています。
吾平鉄道記念館の保存資料は、鹿屋市鉄道記念館へ移されています。
ホームと線路が残され、大隅線で使われていた車両が残されています。
この電柱は、通称ハエタタキとよばれていました。
国鉄の駅舎でよく見ていた電柱です。
吾平駅からみた、論地(ろんじ)駅方向です。
志布志方面に向かいます。
吾平駅からみた、永野田(ながのだ)駅方向です。
鹿屋方面に向かいます。
キハ20 452
国鉄キハ20形気動車は、1957年(昭和32年)から1965 年(昭和40年)までに製造され
た車両です。
409両が製造され、日本各地で使用されていました。
キハ21形が寒地向けだったの対し、キハ20形は暖地向けに製造された形式でした。
吾平駅に静態保存されているのは452号機です。
かつて、大隅線を走っていた車両です。
厳しい保存状態です。
保守はしていても、数十年も使っていない車両です。
経年劣化は免れません。
隣接地にあった鉄道記念館も閉鎖されています。
車両があるうちに訪れてよかったと思います。
ヨ8953
ヨ8953は、車掌車です。
貨物車両の一番後ろに連結されていた、車掌が乗る車両です。
1974年から1979年にかけて、1000 両以上が製造されています。
1986年(昭和61年)に国鉄は、合理化の一環として貨物列車の車掌乗務を廃止しています。
その結果、車掌車は使い道がなくなってしまいました。
公園化された駅跡においてあるケースはめずらしくありません。
しかし車掌者も同様に、経年劣化は避けられません。
今後は順次撤去されていく運命にあるのかもしれません。
沿革
1920年(大正9年) | 大隅鉄道姶良駅として開業 |
1935 年(昭和 10 年) | 国有化、国鉄古江線姶良駅となる |
1952年(昭和 27 年) | 吾平駅へ改称 |
1971年(昭和46年) | 貨物営業廃止 |
1972年(昭和47年) | 志布志駅〜国分駅間全通に伴い大隅線へ改称 |
1987年(昭和62年) | 大隅線全線廃線にともない廃駅 |
場所 鹿児島県鹿屋市吾平町麓
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