市成小学校 かつて鹿屋市最北にあった小学校
市成小学校は、かつて鹿児島県鹿屋市輝北町にあった公立小学校です。再編前30校以上あった鹿屋市立小学校のなかでも、最北に位置する小学校でした。旧市成村の西部が、市成小学校の校区となります。多くの施設がそのまま残り、学校の面影を偲ばせます。
市成小学校は、かつて鹿児島県鹿屋市輝北町にあった公立小学校です。再編前30校以上あった鹿屋市立小学校のなかでも、最北に位置する小学校でした。旧市成村の西部が、市成小学校の校区となります。多くの施設がそのまま残り、学校の面影を偲ばせます。
高尾小学校は、かつて鹿屋市輝北町にあった公立小学校です。市成地区の東部を校区としていました。2011 年に輝北町内の4小学校が、新設された鹿屋市立輝北小学校に統合されたため、閉校しています。学校跡は現役時の姿をよく残しています。
照日神社は、鹿児島県曽於郡大崎町にある神社です。照日神社のはじまりは、伊勢神宮(三重県)を勧請したものです。境内では野方ファームポンドを利用した展望台や、廃仏毀釈から復活した観音堂を見ることができます。
赤池小学校は、かつて宮崎県串間市にあった公立小学校です。あの幻の新谷分校の本校なのですが、本校も大束小学校と統合し閉校しています。現在は、串間市赤池地区活性化センターへ転身し、相変わらず地域に貢献しています。
桐原の滝は、鹿児島県曽於市の大川原峡渓谷にある滝です。滝の下流部が桐原の滝公園として整備されていて、駐車場からは急傾斜や長い遊歩道もないため、苦もなくたどり着くことができます。すぐ上流は、大川原キャンプ場です。
神貫神社(かみぬきじんじゃ)は、鹿児島県垂水市にある神社です。大隅隼人の氏神で、当時は垂水一帯が社領地でした。のちに手貫神社との争いに敗れ、新城が社領となります。拝殿には、日光東照宮を彷彿とさせる眠り猫の彫刻が見られるほか、鳥居の横には垂水の13柱の田の神で最も古い、田の神1号を見ることができます。
九州南部には、大戦終盤になると米軍の上陸作戦に備え、多くの軍事施設がつくられました。大隅半島には、終戦後75年を経過した現在も、その遺構が数多く残されています。遺構群は、我が国を守るために戦った戦没者や遺族の想いを振り返らせてくれます。そして何より、同じ悲劇を繰り返さないために活かされています。
吾平鵜戸神社は、鹿児島県鹿屋市にある神社です。鵜芽草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の陵墓・吾平山上陵(あいらのやまのえのみささぎ)のある吾平町に鎮座します。上陵内にあった社が旧吾平町役場横へ遷ったのは明治時代初期のことです。
四浦小学校は、かつて鹿児島県志布志市にあった公立小学校です。現在も閉校時の姿をほぼそのまま維持していて、山間に木造校舎が現存します。四浦地区は、志布志市志布志町の東北部にある集落です。訪れてみると、一見して過疎集落であるこがわかります。
中岳(なかだけ) ダムは、鹿児島県曽於市末吉町にある、農業かんがい専用ダムです。曽於東部のシラス台地に、農業用水を送る目的で造られています。大淀川の最上流のダムです。大淀川といえば宮崎県のイメージが強いのですが、水源は鹿児島県曽於市になります。
溝ノ口洞穴は、鹿児島県曽於市にある洞穴です。その神秘的な雰囲気から、パワースポットとして注目されいます。奥行きが200mもある大きな洞穴で、火山活動によるシラスの堆積でできた岩を、地下水が永年かけて浸食したことで現在の形になっています。
鹿屋航空基地は、鹿児島県鹿屋市にある海上自衛隊の航空基地です。一般の方は基地に入ることはできませんが、史料館を併設していて見学することができます。史料館では、戦前の鹿屋基地時代からの資料を見ることができます。そして敷地内には往年の名機たちが展示されています。