八角トンネルは、かつて南熊本駅から砥用(ともち)駅の間を走っていた、熊延鉄道(ゆうえんてつどう)の遺構です。
![熊延鉄道 八角トンネル](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
名前の通り、断面が八角形になっています。
熊延鉄道
熊延鉄道は、1915年(大正4年)に開業した私鉄です。
![熊延鉄道 八角トンネル 駐車場からの入り口](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
当初は、御船(みふね)鉄道という名称で、南熊本駅(当時の春竹駅)から御船駅間を結んでいました。
![熊延鉄道 八角トンネル 駐車場から200m](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1923年(大正 12年)には、甲佐駅まで延伸しています。
![熊延鉄道 線路跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
その後も、宮崎県の延岡市まで延伸する計画であり、1927年(昭和2年)には社名を熊延鉄道へ変更しています。
![熊延鉄道 八角トンネル 線路跡](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1932年(昭和7年)に、砥用駅までが延伸開業します。
![美里フットパス 二俣橋コース の目印](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
しかし、砥用駅より以東の山岳区間へは、延伸されませんでした。
![熊延鉄道 八角トンネル 線路跡とフットパスコースの小道](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
1964年(昭和39年)に全線廃線となっています。
![熊延鉄道 八角トンネル](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
熊延鉄道は、いちはやくバス路線転換を選択したことで、熊本バスとして現在も営業を続けています。
![熊延鉄道 八角トンネル 南甲佐駅側](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
六角隧道
熊延鉄道は、廃線から50年以上経過しています。
![熊延鉄道 八角トンネル 南甲佐駅側](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
ほぼ、原形をとどめる遺構は残っていません。
![熊延鉄道 八角トンネル 南甲佐駅側](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
八角トンネルは数少ない熊延鉄道の遺構となります。
![熊延鉄道 八角トンネル](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
場所は、南甲佐駅と佐俣駅の間です。
![熊延鉄道 八角トンネル](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
恋人の聖地「二股橋」の上あたりになります。
![熊延鉄道 八角トンネル](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
よくわからないなら、六角トンネル駐車場から線路跡を歩いたほうがわかりやすいです。
![熊延鉄道 八角トンネル](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
開通当時から六角隧道などとよばれていましたが、実際はトンネルではありません。
![熊延鉄道 八角トンネル](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
切り通しの壁を補強するための補助壁です。
![熊延鉄道 八角トンネル 佐俣駅側](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
車道の場合は洞門といったりしています。
![熊延鉄道 八角トンネル 佐俣駅側](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
六角とよばれたり八角とよばれたりします。
![熊延鉄道 八角トンネル 佐俣駅側](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
よく見ると、どう見ても八角形です。
![熊延鉄道 八角トンネル](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
しかし、下一面は地中に埋もれています。
![熊延鉄道 八角トンネル](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
地面を一面と数えても、八角形です。
![熊延鉄道 八角トンネル](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
下三面が地中にあれば、空洞は六角形になります。
![熊延鉄道 八角トンネル](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
ぱっと見た感じ六角でも八角でも、どっちでも通じるような気もします。
第二津留川橋梁
津留川にかかっていた、熊延鉄道の鉄橋は橋脚が残っています。
![八角トンネルから見た佐俣駅側](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
そのうち第一津留川橋梁は、六角トンネルから佐俣駅の方向へ300mほど進んだところになります。
![往時の第一津留川橋梁](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
橋脚が4本残っているらしですが、この先は、やぶがふかそうなので行きませんでした。
![第二津留川橋梁 橋脚](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
第二津留川橋梁は、馬門橋の少し上流にかかっていました。
![第二津留川橋梁 橋脚](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
こちらは、橋脚2本が現存しています。
熊延鉄道写真
![熊延鉄道 路線図](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
熊延鉄道の路線図です。
![往時の八角トンネル 南甲佐駅側](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
現役時の八角トンネル、南甲佐駅側です。
![往時の八角トンネル 佐俣駅側](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
同じく八角トンネル、佐俣駅側です。
![第二津留川橋梁](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
往時の第二津留川橋梁です。
![往時の第二津留川橋梁と馬門橋](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
同じく、第二津留川橋梁です。
背景の橋は国道の馬門橋です。
![昭和30年代の熊延鉄道南熊本駅](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
昭和30年代の、熊延鉄道南熊本駅です。
![昭和30年代の南熊本駅
右が熊延鉄道、左は国鉄豊肥線](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
同じく昭和30年代の南熊本駅、右が熊延鉄道、左は国鉄豊肥線です。
![昭和30年代の熊延鉄道砥用駅](https://haradaoffice.biz/wp-content/themes/the-thor/img/dummy.gif)
終点の砥用駅です。
沿革
1915年(大正4年) | 御船鉄道として春竹駅(のちの南熊本駅)~小坂村駅間開業 |
1916年(大正5年) | 御船駅まで延伸 |
1923年(大正12年) | 甲佐駅まで延伸 |
1927年(昭和2年) | 熊延鉄道へ社名変更 |
1932年(昭和7年) | 砥用駅まで延伸 |
1940年(昭和 15 年) | 春竹駅を南熊本駅へ改称 |
1960年(昭和 35 年) | 国鉄豊肥線水前寺駅まで乗入れ開始 |
1964年(昭和 39年) | 全線廃止 |
場所 熊本県下益城郡美里町小筵
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