大隅線はかつて、志布志駅から国分駅を結んでいた、国鉄のローカル線です。
1972年(昭和47年)に、路線総延長98.3㎞を全通させましたが、その15年後に全線廃止されました。
- 1 現在の駅跡
- 1.1 志布志駅(しぶしえき)
- 1.2 菱田駅(ひしだえき)
- 1.3 大隅大崎駅(おおすみおおさきえき)
- 1.4 三文字駅(さんもんじえき)
- 1.5 東串良駅(ひがしくしらえき)
- 1.6 串良駅(くしらえき)
- 1.7 下小原駅(しもおばるえき)
- 1.8 大隅高山駅(おおすみこうやまえき)
- 1.9 論地駅(ろんじえき)
- 1.10 吾平駅(あいらえき)
- 1.11 永野田駅(ながのだえき)
- 1.12 大隅川西駅(おおすみかわにしえき)
- 1.13 鹿屋駅(かのやえき)
- 1.14 大隅野里駅(おおすみのざとえき)
- 1.15 大隅高須駅(おおすみたかすえき)
- 1.16 荒平駅(あらひらえき)
- 1.17 古江駅(ふるええき)
- 1.18 新城駅(しんじょうえき)
- 1.19 諏訪駅(すわえき)
- 1.20 柊原駅(くぬぎばるえき)
- 1.21 浜平駅(はまひらえき)
- 1.22 垂水駅(たるみずえき)
- 1.23 海潟温泉駅(かいがたおんせんえき)
- 1.24 大隅麓駅(おおすみふもとえき)
- 1.25 大隅辺田駅(おおすみへたえき)
- 1.26 大隅二川駅(おおすみふたがわえき)
- 1.27 大隅境駅(おおすみさかいえき)
- 1.28 大廻駅(おおめぐりえき)
- 1.29 大隅福山駅(おおすみふくやまえき)
- 1.30 敷根駅(しきねえき)
- 1.31 銅田駅(どうたえき)
- 1.32 金剛寺駅(こんごうじえき)
- 1.33 国分駅(こくぶえき)
- 2 沿革
- 3 関連記事
現在の駅跡
2021年(令和3年)に、大隅線の各駅がどうなっているか見てきました。
大隅線は33駅と駅数が多いので、記事も長くなります。
目的の駅をさがすときは、目次をご活用ください。
志布志駅(しぶしえき)
志布志駅は、大隅線の起点駅です。
大隅線、志布志線、日南線の3路線が乗り入れていた、一大ターミナル駅でした。
現在は、日南線の終点駅となり、コンパクトな駅に生まれ変わっています。
国分から #大隅線 に乗り志布志で下車。この後 #志布志線 で都城に向かいました。
— 非電化計画 (@DML61ZR) December 6, 2018
滅多に駅や構造物は撮らなかったのですが、ローカル線廃止反対のスローガンが気になったのかもしれません。
残ったのは、この時乗れなかった #日南線 だけになりました。
朱色の気動車はキハ45系に見えます
1982年3月 pic.twitter.com/Rpls8y1IZ6
菱田駅(ひしだえき)
1970年代の菱田駅周辺の航空写真では、駅舎があったのがわかります。
こちらのお宅の庭あたりに、木造駅舎がありました。
航空写真で見ると、写真中央の道路と右側の草むらも駅の設備でしょう。
そして大隅線跡、志布志駅方向です。
同じく大隅線跡、大隅大崎方面です。
菱田駅
— ニコソ警部㌠@DJ.Y.N (@nikoso_fg) January 14, 2019
ここは昔は相対式ホーム2面2線だったようで、貨物取扱ホームもあるなど比較的大きな駅だったことがわかります。
1枚目:志布志方を向いて
2枚目:国分・鹿屋方を向いて#大隅線 pic.twitter.com/N6sU3DuX68
大隅大崎駅(おおすみおおさきえき)
大隅大崎駅は大崎中学校の南側にありました。
駅跡には、学校給食センターが建っています。
駅の東側にあった大きな建物は、農協の果実センターです。
農協の敷地内にホーム跡の一部が残っています。
三文字駅(さんもんじえき)
一線の駅で列車の交換はできませんが、駅舎がありました。
現在、駅跡は駐車場になっていて、鉄道遺構は見あたりませんでした。
駅裏の農地に建った大きな建物はスーパー「だいわ」です。
大隅線跡の道路、直進すると大隅大崎駅です。
反対方向、東串良駅方向です。
東串良駅(ひがしくしらえき)
東串良駅は、1970年代まで貨物を取り扱っていました。
駅跡一帯は、公園になっています。
2010年代まで、公園には車掌車・ヨ8959が置かれていました。
現在は撤去され、レールと動輪だけが残っています。
駅前の石倉も、駅前感があります。
しかし、駅前通りを一歩入ると廃駅感があります。
串良駅(くしらえき)
串良駅は東串良駅と600mしかはなれていません、日本一駅間距離が短い駅でした。
駅跡は鉄道記念公園となり、プラットホームや踏切、気動車が展示されていました。
しかし、現在は大隅線のあゆみを書いた記念碑だけが鉄道遺構です。
周囲の景色を見ると、駅の雰囲気は残されています。
古い写真から。旧大隅線串良駅跡。廃線後、駅跡は鉄道記念公園となり、活躍していた車両も保存展示された。色がアレだけど(汗)。しかし、今となってはその痕跡は全く無い。せっかく綺麗に整備したのに、もったいないなぁ。 pic.twitter.com/L7yquuKMPT
— ニコソ警部㌠@DJ.Y.N (@nikoso_fg) May 20, 2015
下小原駅(しもおばるえき)
下小原駅も廃駅後、公園化されていて、駅跡はみつけやすいです。
きれいに維持された公園です。
動輪と記念碑が置かれています。
大隅高山駅(おおすみこうやまえき)
大隅高山駅は、当時の駅舎を残し高山鉄道記念公園となっています。
保存状態も良いので、往時の大隅線を感じることができます。
論地駅(ろんじえき)
論地駅は、田んぼの中にポツンとあった駅です。
大隅線は田んぼの中の築堤で、現在は農道になっています。
駅跡はそのまま残っていて、空き地になっています。
吾平駅(あいらえき)
吾平駅跡は鉄道記念公園になっていて、線路跡とプラットホームそして気動車と車掌車が残されています。
となりに吾平鉄道記念館があって、鉄道遺構を展示していましたが、現在は閉館しました。
展示品は、鹿屋市鉄道記念館に移されています。
永野田駅(ながのだえき)
永野田駅は、鹿屋市の自転車歩行者専用道「フィットネスパース」の起点になっています。
アスファルトの道が大隅線跡で、芝生の公園が永野田駅跡です。
以前は公園の入口に、木製の駅名標が残されていたのですが、現在は撤去されています。
そのため、駅跡とわかるものは何も残っていません。
大隅川西駅(おおすみかわにしえき)
鹿屋市に入ると、大隅線跡はフィットネスパースになっているため辿りやすくなります。
それでも大隅川西駅には駅跡らしいものはないので、特定しにくいです。
航空写真で見た感じ、交差点の先の右側がプラットホームだったようです。
単線のホームと待合所だけの駅なら、このくらいの広さだったのでしょう。
鹿屋駅(かのやえき)
鹿屋駅は、大隅半島第一位の人口を抱える鹿屋市の中心駅でした。
大隅線の廃線により、鉄道空白地帯となってしまいました。
駅跡は大半が市役所となりましたが、一角に鹿屋市鉄道記念館が設けられています。
九州のローカル線の思い出 🚞 大隅線
— なるまる🌠ポポロン (@tokimekupoporon) January 6, 2021
鹿屋から後続の列車に乗り込み、さらに大隅線を進んで終着駅の国分まで出ました🚃
国分駅は0番線に大隅線が発着していました🏡#大隅線 #ローカル線 #廃線 #キハ20 #鉄道写真 #鉄道風景 pic.twitter.com/m8f0kVfDZK
九州のローカル線の思い出 🚞 大隅線
— なるまる🌠ポポロン (@tokimekupoporon) January 6, 2021
このところの寒さと北国の豪雪…⛄
せめて南九州の南国風景をと思ったのですが、この時の旅は天候が優れず鹿屋は雨でした☔#大隅線 #快速佐多 #ローカル線 #廃線 #キハ58 #鉄道写真 #鉄道風景 pic.twitter.com/fiC1CzKrZ0
大隅野里駅(おおすみのざとえき)
大隅野里駅は、営業時の駅舎が残される貴重な駅です。
駅舎は、フィットネスパースの休憩所になっています。
海軍の鹿屋飛行場のそばにある駅で、米軍の空襲で駅舎が壊されています。
鉄筋コンクリートの駅舎は、戦後建てられたものです。
大隅高須駅(おおすみたかすえき)
大隅高須駅は、大隅線のなかでは鹿屋駅とならび、最も早くできた駅です。
駅舎があった場所には、公民館が建てられています。
駅跡の碑があるのは、公民館の玄関の横です。
荒平駅(あらひらえき)
荒平駅前の島は天神島といって、荒平天神が鎮座しています。
廃駅後も待合所が、荒平天神参拝の休憩所として残されていました。
2013年(平成25年)に、待合所は解体され新しく休憩所ができています。
営業復活記念碑は、戦時中休止したのち、1947年(昭和22年)に復活した際、建てられたものです。
鹿児島県鹿屋市立菅原小学校 ユクサおおすみ海の学校としてリスタート
古江駅(ふるええき)
大隅線で、営業時の駅舎が残っているのは3駅あります。
- 大隅高山駅
- 大隅野里駅
- 古江駅
なかでも木造なのは唯一古江駅だけなので、とても貴重な駅です。
新城駅(しんじょうえき)
新城駅跡は、構内がそのまま公園になっています。
短くはなっていますが、当時の線路とプラットホームが残っています。
鉄道遺構も含めて、主な用途はグランドゴルフです。
ホーム上の駅名標は、大隅線現役時のものではなくコンクリート製で、プレハブ倉庫の支柱として役立っています。
ホーム側面の「1959-12」の文字から、プラットホームが1959年(昭和34年)製なのがわかります。
新城駅の営業開始はその1年5ヵ月後、1961年(昭和36年)4月です。
諏訪駅(すわえき)
諏訪駅跡には鉄道遺構は何もありません。
道路の形から駅跡だったことはハッキリわかります。
開業時からホーム上に待合所だけがあった駅なので、この広さあれば駅として機能します。
待合所があったのはこのあたりです。
柊原駅(くぬぎばるえき)
柊原駅も開業当初から無人駅でした。
駅跡は道路横の空き地です。
航空写真で見ると、当初は駅へ行く道路がありません。
大隅線のあったころは、おそらくここがメインの駅前通りです。
浜平駅(はまひらえき)
右下の大きな建物は、飲料水メーカー「財宝」さんの垂水工場です。
浜平駅も開業当初から、旅客営業のみを目的としていました。
そのため、広い敷地は必要なかったようです。
右側の建物群が駅前です。
垂水駅(たるみずえき)
垂水駅跡は垂水鉄道記念公園になっています。
木造駅舎があり、1961年(昭和36年)の古江線としての開業当初は、通勤通学でにぎわっていました。
国鉄大隅線 垂水駅(1961〜1987)
— 垂水時間旅行社 (@tarumizutta) November 2, 2017
昭和36(1961)年、国鉄古江線が海潟駅まで延伸した際に誕生。 写真は廃線時の記念入場券です。
#こんなんがあったんじゃグランプリin鹿児島 #大隅線廃線30年 #大隅線 pic.twitter.com/Kx7aV6Q32n
海潟温泉駅(かいがたおんせんえき)
海潟温泉駅は、1961年(昭和36年)に古江線の終着駅として開業しています。
しかし、大隅線が全通した1972年(昭和47年)に移転しています。
大隅線廃線時の海潟温泉駅は、わずか15年の歴史しかありません。
駅跡は造園され、広葉樹が植林されています。
周囲が農地だったので、桜島がよく見えていました。
その分火山灰もよく降っているようです。
大隅麓駅(おおすみふもとえき)
中央の築堤上が大隅麓駅です。比較する2000年以降の航空写真が出ませんでした
中央の道路が大隅線の跡で、左側の築堤が大隅麓駅跡です。
大隅線は本来、交差する道路を高架でまたいでいまいました。
大隅線を道路に転用する際、交差する道路と行き来できるように、築堤を掘り下げてあります。
いずれにせよ、駅跡に遺構はありません。
国鉄大隅線・大隅麓駅跡(鹿児島県:1997年12月):ぶらり乗り鉄一人旅#追憶 #大隅線 #大隅麓駅 #廃駅 #廃線 #風景 #一人旅 #鉄道旅行 #自転車旅行 #japan #travel #solotravel #landscape pic.twitter.com/oZPO6nWWex
— ちゃり鉄.JP-official- (@charitetsu_twit) February 13, 2021
大隅辺田駅(おおすみへたえき)
大隅線で最後に開通した区間の駅は、すべて無人駅で駅舎がありません。
この区間は鉄道としての歴史は15年と浅く、駅跡の遺構はあまり残っていません。
中央の道路が大隅線跡で、右側のわずかな土地が大隅辺田駅跡です。
反対の国分駅方向を見た写真では、左側が駅跡になります。
大隅麓駅から大隅辺田駅間の線路跡を、サイクリングロードにする構想があるようです。
大隅二川駅(おおすみふたがわえき)
大隅二川駅は北側の牛根小学校と、南側の牛根中学校の間にあった駅です。
駅があったのは東側(写真の左側)です。
裏側から見ると、駅が築堤上にあったことがわかります。
堤防の切れ目が、松崎川に架かっていた鉄道橋梁の橋脚跡です。
大隅二川駅。
— ニコソ警部㌠@DJ.Y.N (@nikoso_fg) January 14, 2019
現在は・・・・えーっと、googleマップで確認すると、個人宅が建っているようです(汗)。
国分方のみ撮影。#大隅線 pic.twitter.com/Q4r91uxlhz
大隅境駅(おおすみさかいえき)
大隅境駅は無人駅でしたが、2線あり列車交換ができる駅でした。
大隅境駅跡は、鉄道記念公園として整備されています。
駅前広場に動輪があります。
駅跡には記念碑が建てられています。
そして写真は開花前ですが、桜が植えられています。
大廻駅(おおめぐりえき)
大廻駅の両側には、オレンジ学園という医療福祉法人の施設が立ち並んでいます。
大隅線の跡は道路になっています。
駅跡はオレンジ学園の一部として、風景に溶け込んでいます。
あらかじめ駅のあった場所の見当をつけて行かないと、全く駅跡とは気づきません。
大廻駅。
— ニコソ警部㌠@DJ.Y.N (@nikoso_fg) January 14, 2019
現在は車道化されています。
当時から大きな病院に囲まれるように存在していました。
アクセスは病院敷地内に入っていくような感じで、「本当にこの道で合っているのか?」と不安になった覚えが(笑)。
1枚目:垂水方
2枚目:国分方#大隅線 pic.twitter.com/v4kS9fKpVL
大隅福山駅(おおすみふくやまえき)
大隅福山駅跡は、鉄道記念公園である小廻中央公園になっています。
道路が国分に向かう大隅線跡で、西側(左)が駅跡の公園です。
鉄道遺構は、動輪だけです。
あと、説明板に大隅線のことが触れられています。
桜島の景色にも驚きますが、それ以上にビックリしたのが黒酢の壺畑(つぼばたけ)です。
大隅線 大隅福山駅。
— とおます (@lgted) July 17, 2018
開業 昭和47年
廃止 昭和62年
わずか15年の命しかなかった駅……#国鉄 #JR九州 #大隅線 #赤字廃止路線 #鹿児島県 #昭和62年 pic.twitter.com/uyHrYWcmBP
敷根駅(しきねえき)
現在は大隅線跡が県道になっていて、結構交通量が多くなっています。
このあたりが敷根駅跡なのですが、駅跡も道路になっています。
当然、遺構も何も鉄道の痕跡すら見つけられませんでした。
銅田駅(どうたえき)
銅田駅もまさに現在の県道上にピッタリ被ります。
道路わきに下げて、鉄道記念公園がつくられています。
公園内には、駅名標、車掌車、踏切が残されています。
車掌車の車輪は外されていますが、塗装は新しく手入れされています。
状態もそんなに悪くありません。
銅田駅。
— ニコソ警部㌠@DJ.Y.N (@nikoso_fg) January 14, 2019
かなり高い築堤上の駅でした。
現在はすべて削り取られ車道化、跡地は鉄道記念公園となり、車掌車ヨ8000が展示(ただし車輪無し)されています。#大隅線 pic.twitter.com/OaT6msjjxj
金剛寺駅(こんごうじえき)
金剛寺駅は、航空写真の左上に見える、国分高等学校の最寄り駅でした。
上の写真では、信号待ちの車列が駅跡で、対向車線が大隅線跡です。
金剛寺駅跡は何の痕跡も残さず、完全に道路上になっています。
国分駅(こくぶえき)
国分駅は、鹿児島市からと宮崎駅・大分駅を経て小倉駅へ至る日豊本線の駅です。
そして、大隅線の終点駅でした。
大隅線が発着していたのは、0番ホームです。
現在、志布志駅へ行くには、宮崎駅を経由して日南線で行くしかありません。
最近でも、県内では鹿児島中央駅に次いで、乗降客数の多い駅になります。
沿革
1915年(大正4年) | 南隅軽便鉄道(なんぐうけいべんてつどう)が鹿屋~高須間を開業 |
1916年(大正5年) | 大隅鉄道へ社名変更 |
1923年(大正12年) | 串良~古江間開業 |
1935年(昭和10年) | 国有化、国鉄古江線となる |
1938年(昭和13年) | 志布志~古江間改軌開通 |
1961年(昭和38年) | 古江~海潟間開通(旅客営業のみ) |
1972年(昭和47年) | 海潟~国分まで開通(旅客営業のみ) 志布志~国分間が全通し大隅線となる |
1982年(昭和57年) | 全線で貨物営業廃止 |
1984年(昭和59年) | 第2次特定地方交通線として廃止承認 |
1987年(昭和62年) | 全線廃止 |
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