国鉄大隅線 大隅福山駅から見た桜島

大隅線 廃線後の駅跡【2021年最新版】

大隅線はかつて、志布志駅から国分駅を結んでいた、国鉄のローカル線です。

国鉄大隅線 東串良駅跡

1972年(昭和47年)に、路線総延長98.3㎞を全通させましたが、その15年後に全線廃止されました。

現在の駅跡

2021年(令和3年)に、大隅線の各駅がどうなっているか見てきました。

国鉄大隅線 串良駅跡

大隅線は33駅と駅数が多いので、記事も長くなります。

国鉄大隅線跡のトンネル

目的の駅をさがすときは、目次をご活用ください。

志布志駅(しぶしえき)

志布志駅は、大隅線の起点駅です。

大隅線、志布志線、日南線の3路線が乗り入れていた、一大ターミナル駅でした。

JR九州 日南線 志布志駅

現在は、日南線の終点駅となり、コンパクトな駅に生まれ変わっています。

菱田駅(ひしだえき)

国鉄大隅線 菱田駅 1970年代の航空写真
国鉄大隅線 菱田駅 現在の航空写真

1970年代の菱田駅周辺の航空写真では、駅舎があったのがわかります。

国鉄大隅線 菱田駅

こちらのお宅の庭あたりに、木造駅舎がありました。

国鉄大隅線 菱田駅

航空写真で見ると、写真中央の道路と右側の草むらも駅の設備でしょう。

国鉄大隅線 菱田駅 志布志駅方向

そして大隅線跡、志布志駅方向です。

国鉄大隅線 菱田駅 大隅大崎駅方向

同じく大隅線跡、大隅大崎方面です。

大隅大崎駅(おおすみおおさきえき)

国鉄大隅線 大隅大崎駅 1970年代の航空写真
国鉄大隅線 大隅大崎駅 現在の航空写真

大隅大崎駅は大崎中学校の南側にありました。

国鉄大隅線大隅大崎駅跡の学校給食センター

駅跡には、学校給食センターが建っています。

国鉄大隅線 大隅大崎駅 農協果実センター

駅の東側にあった大きな建物は、農協の果実センターです。

国鉄大隅線 大隅大崎駅 プラットホーム跡の一部

農協の敷地内にホーム跡の一部が残っています。

三文字駅(さんもんじえき)

国鉄大隅線 三文字駅 1970年代の航空写真
国鉄大隅線 三文字駅 現在の航空写真

一線の駅で列車の交換はできませんが、駅舎がありました。

国鉄大隅線 三文字駅跡

現在、駅跡は駐車場になっていて、鉄道遺構は見あたりませんでした。

国鉄大隅線 三文字駅裏のできた「だいわ」

駅裏の農地に建った大きな建物はスーパー「だいわ」です。

国鉄大隅線 三文字駅跡

大隅線跡の道路、直進すると大隅大崎駅です。

国鉄大隅線 三文字駅跡

反対方向、東串良駅方向です。

国鉄大隅線 三文字駅跡 2023かごしま国体 大崎町実行委員会の横断幕

東串良駅(ひがしくしらえき)

国鉄大隅線 東串良駅 1970年代の航空写真
国鉄大隅線 東串良駅 現在の航空写真

東串良駅は、1970年代まで貨物を取り扱っていました。

国鉄大隅線 東串良駅跡

駅跡一帯は、公園になっています。

国鉄大隅線 東串良駅跡の動輪と線路

2010年代まで、公園には車掌車・ヨ8959が置かれていました。

国鉄大隅線 東串良駅跡

現在は撤去され、レールと動輪だけが残っています。

国鉄大隅線 東串良駅前の石倉

駅前の石倉も、駅前感があります。

国鉄大隅線 東串良駅跡の駅前通り

しかし、駅前通りを一歩入ると廃駅感があります。

串良駅(くしらえき)

国鉄大隅線 串良駅 1970年代の航空写真
国鉄大隅線 串良駅 現在の航空写真

串良駅は東串良駅と600mしかはなれていません、日本一駅間距離が短い駅でした。

国鉄大隅線 串良駅跡

駅跡は鉄道記念公園となり、プラットホームや踏切、気動車が展示されていました。

国鉄大隅線 串良駅跡の碑

しかし、現在は大隅線のあゆみを書いた記念碑だけが鉄道遺構です。

国鉄大隅線 串良駅跡

周囲の景色を見ると、駅の雰囲気は残されています。

下小原駅(しもおばるえき)

国鉄大隅線 下小原駅 1970年代の航空写真
国鉄大隅線 下小原駅 現在の航空写真

下小原駅も廃駅後、公園化されていて、駅跡はみつけやすいです。

国鉄大隅線 下小原駅駅跡

きれいに維持された公園です。

国鉄大隅線 下小原駅跡の碑

動輪と記念碑が置かれています。

国鉄大隅線 下小原駅跡の動輪

大隅高山駅(おおすみこうやまえき)

大隅高山駅は、当時の駅舎を残し高山鉄道記念公園となっています。

国鉄大隅線 大隅高山駅跡

保存状態も良いので、往時の大隅線を感じることができます。

論地駅(ろんじえき)

国鉄大隅線 論地駅 1970年代の航空写真
国鉄大隅線 論地駅 現在の航空写真

論地駅は、田んぼの中にポツンとあった駅です。

国鉄大隅線 論地駅跡

大隅線は田んぼの中の築堤で、現在は農道になっています。

国鉄大隅線 論地駅跡

駅跡はそのまま残っていて、空き地になっています。

国鉄大隅線 論地駅跡

吾平駅(あいらえき)

吾平駅跡は鉄道記念公園になっていて、線路跡とプラットホームそして気動車と車掌車が残されています。

国鉄大隅線 吾平駅跡

となりに吾平鉄道記念館があって、鉄道遺構を展示していましたが、現在は閉館しました。

展示品は、鹿屋市鉄道記念館に移されています。

永野田駅(ながのだえき)

国鉄大隅線 永野田駅 1970年代の航空写真
国鉄大隅線 永野田駅 現在の航空写真

永野田駅は、鹿屋市の自転車歩行者専用道「フィットネスパース」の起点になっています。

国鉄大隅線 永野田駅跡

アスファルトの道が大隅線跡で、芝生の公園が永野田駅跡です。

国鉄大隅線 永野田駅跡

以前は公園の入口に、木製の駅名標が残されていたのですが、現在は撤去されています。

国鉄大隅線 永野田駅跡

そのため、駅跡とわかるものは何も残っていません。

大隅川西駅(おおすみかわにしえき)

国鉄大隅線 大隅川西駅 1970年代の航空写真
国鉄大隅線 大隅川西駅 現在の航空写真

鹿屋市に入ると、大隅線跡はフィットネスパースになっているため辿りやすくなります。

国鉄大隅線 大隅川西駅跡

それでも大隅川西駅には駅跡らしいものはないので、特定しにくいです。

国鉄大隅線 大隅川西駅跡

航空写真で見た感じ、交差点の先の右側がプラットホームだったようです。

国鉄大隅線 大隅川西駅跡

単線のホームと待合所だけの駅なら、このくらいの広さだったのでしょう。

鹿屋駅(かのやえき)

国鉄大隅線 鹿屋駅の運賃表

鹿屋駅は、大隅半島第一位の人口を抱える鹿屋市の中心駅でした。

国鉄大隅線 鹿屋市鉄道記念館

大隅線の廃線により、鉄道空白地帯となってしまいました。

駅跡は大半が市役所となりましたが、一角に鹿屋市鉄道記念館が設けられています。

大隅野里駅(おおすみのざとえき)

国鉄大隅線 大隅野里駅 1970年代の航空写真
国鉄大隅線 大隅野里駅 現在の航空写真

大隅野里駅は、営業時の駅舎が残される貴重な駅です。

国鉄大隅線 大隅野里駅駅舎

駅舎は、フィットネスパースの休憩所になっています。

国鉄大隅線 大隅線路線図
大隅野里駅の歴史

海軍の鹿屋飛行場のそばにある駅で、米軍の空襲で駅舎が壊されています。

国鉄大隅線 大隅野里駅 駅舎内

鉄筋コンクリートの駅舎は、戦後建てられたものです。

大隅高須駅(おおすみたかすえき)

国鉄大隅線 大隅高須駅 1970年代の航空写真
国鉄大隅線 大隅高須駅 現在の航空写真

大隅高須駅は、大隅線のなかでは鹿屋駅とならび、最も早くできた駅です。

国鉄大隅線 大隅高須駅跡

駅舎があった場所には、公民館が建てられています。

国鉄大隅線 大隅高須駅跡之碑

駅跡の碑があるのは、公民館の玄関の横です。

国鉄大隅線 大隅高須駅跡

荒平駅(あらひらえき)

国鉄大隅線 荒平駅 1970年代の航空写真
国鉄大隅線 荒平駅 現在の航空写真

荒平駅前の島は天神島といって、荒平天神が鎮座しています。

国鉄大隅線 荒平駅跡

廃駅後も待合所が、荒平天神参拝の休憩所として残されていました。

国鉄大隅線 荒平駅跡

2013年(平成25年)に、待合所は解体され新しく休憩所ができています。

国鉄大隅線 荒平駅 営業復活記念碑

営業復活記念碑は、戦時中休止したのち、1947年(昭和22年)に復活した際、建てられたものです。

国鉄大隅線 荒平駅 荒平天神
荒平天神 満潮時は錦江湾の島になる天神島の菅原神社

鹿児島県鹿屋市立菅原小学校 ユクサおおすみ海の学校としてリスタート

古江駅(ふるええき)

国鉄大隅線 古江駅

大隅線で、営業時の駅舎が残っているのは3駅あります。

  1. 大隅高山駅
  2. 大隅野里駅
  3. 古江駅

なかでも木造なのは唯一古江駅だけなので、とても貴重な駅です。

新城駅(しんじょうえき)

国鉄大隅線 新城駅 1970年代の航空写真
国鉄大隅線 新城駅 現在の航空写真

新城駅跡は、構内がそのまま公園になっています。

国鉄大隅線 新城駅跡

短くはなっていますが、当時の線路とプラットホームが残っています。

国鉄大隅線 新城駅跡

鉄道遺構も含めて、主な用途はグランドゴルフです。

国鉄大隅線 新城駅跡

ホーム上の駅名標は、大隅線現役時のものではなくコンクリート製で、プレハブ倉庫の支柱として役立っています。

国鉄大隅線 新城駅跡 プラットホームの文字「1959-12」

ホーム側面の「1959-12」の文字から、プラットホームが1959年(昭和34年)製なのがわかります。

国鉄大隅線 新城駅跡の説明板

新城駅の営業開始はその1年5ヵ月後、1961年(昭和36年)4月です。

諏訪駅(すわえき)

国鉄大隅線 諏訪駅 1970年代の航空写真
国鉄大隅線 諏訪駅 現在の航空写真

諏訪駅跡には鉄道遺構は何もありません。

国鉄大隅線 諏訪駅跡

道路の形から駅跡だったことはハッキリわかります。

国鉄大隅線 諏訪駅跡

開業時からホーム上に待合所だけがあった駅なので、この広さあれば駅として機能します。

国鉄大隅線 諏訪駅跡

待合所があったのはこのあたりです。

柊原駅(くぬぎばるえき)

国鉄大隅線 柊原駅 1970年代の航空写真
国鉄大隅線 柊原駅 現在の航空写真

柊原駅も開業当初から無人駅でした。

国鉄大隅線 柊原駅跡

駅跡は道路横の空き地です。

国鉄大隅線 柊原駅跡

航空写真で見ると、当初は駅へ行く道路がありません。

国鉄大隅線 柊原駅へ続く道

大隅線のあったころは、おそらくここがメインの駅前通りです。

浜平駅(はまひらえき)

国鉄大隅線 浜平駅 1970年代の航空写真
国鉄大隅線 浜平駅 1970年代の航空写真

右下の大きな建物は、飲料水メーカー「財宝」さんの垂水工場です。

国鉄大隅線 浜平駅跡

浜平駅も開業当初から、旅客営業のみを目的としていました。

国鉄大隅線 浜平駅跡

そのため、広い敷地は必要なかったようです。

国鉄大隅線 浜平駅跡

右側の建物群が駅前です。

垂水駅(たるみずえき)

国鉄大隅線 垂水駅跡 垂水鉄道記念公園

垂水駅跡は垂水鉄道記念公園になっています。

木造駅舎があり、1961年(昭和36年)の古江線としての開業当初は、通勤通学でにぎわっていました。

海潟温泉駅(かいがたおんせんえき)

国鉄大隅線 海潟温泉駅 1970年代の航空写真
国鉄大隅線 海潟温泉駅 現在の航空写真

海潟温泉駅は、1961年(昭和36年)に古江線の終着駅として開業しています。

国鉄大隅線 海潟温泉駅跡

しかし、大隅線が全通した1972年(昭和47年)に移転しています。

国鉄大隅線 海潟温泉駅跡

大隅線廃線時の海潟温泉駅は、わずか15年の歴史しかありません。

国鉄大隅線 海潟温泉駅跡

駅跡は造園され、広葉樹が植林されています。

国鉄大隅線 海潟温泉駅から見た桜島

周囲が農地だったので、桜島がよく見えていました。

国鉄大隅線 海潟温泉駅跡 道に積もった火山灰

その分火山灰もよく降っているようです。

大隅麓駅(おおすみふもとえき)

国鉄大隅線 大隅麓駅 1970年代の航空写真

中央の築堤上が大隅麓駅です。比較する2000年以降の航空写真が出ませんでした

国鉄大隅線 大隅麓駅跡

中央の道路が大隅線の跡で、左側の築堤が大隅麓駅跡です。

国鉄大隅線 大隅麓駅跡

大隅線は本来、交差する道路を高架でまたいでいまいました。

国鉄大隅線 大隅麓駅跡

大隅線を道路に転用する際、交差する道路と行き来できるように、築堤を掘り下げてあります。

国鉄大隅線 大隅麓駅跡

いずれにせよ、駅跡に遺構はありません。

大隅辺田駅(おおすみへたえき)

国鉄大隅線 大隅辺田駅 1970年代の航空写真

大隅線で最後に開通した区間の駅は、すべて無人駅で駅舎がありません。

国鉄大隅線 大隅辺田駅近くの架橋

この区間は鉄道としての歴史は15年と浅く、駅跡の遺構はあまり残っていません。

国鉄大隅線 大隅辺田駅跡

中央の道路が大隅線跡で、右側のわずかな土地が大隅辺田駅跡です。

国鉄大隅線 大隅辺田駅跡

反対の国分駅方向を見た写真では、左側が駅跡になります。

国鉄大隅線 大隅辺田駅跡 「しおかぜ街道牛根コース」の概要

大隅麓駅から大隅辺田駅間の線路跡を、サイクリングロードにする構想があるようです。

大隅二川駅(おおすみふたがわえき)

国鉄大隅線 大隅二川駅 1970年代の航空写真

大隅二川駅は北側の牛根小学校と、南側の牛根中学校の間にあった駅です。

国鉄大隅線 大隅二川駅跡

駅があったのは東側(写真の左側)です。

国鉄大隅線 大隅二川駅跡

裏側から見ると、駅が築堤上にあったことがわかります。

国鉄大隅線 大隅二川駅近くの橋脚跡

堤防の切れ目が、松崎川に架かっていた鉄道橋梁の橋脚跡です。

大隅境駅(おおすみさかいえき)

国鉄大隅線 大隅境駅 1970年代の航空写真

大隅境駅は無人駅でしたが、2線あり列車交換ができる駅でした。

国鉄大隅線 大隅境駅跡

大隅境駅跡は、鉄道記念公園として整備されています。

国鉄大隅線 大隅境駅跡の動輪

駅前広場に動輪があります。

国鉄大隅線 大隅境駅 鉄道跡地造園記念碑

駅跡には記念碑が建てられています。

国鉄大隅線 大隅境駅跡の公園

そして写真は開花前ですが、桜が植えられています。

大廻駅(おおめぐりえき)

国鉄大隅線 大廻駅 1970年代の航空写真

大廻駅の両側には、オレンジ学園という医療福祉法人の施設が立ち並んでいます。

国鉄大隅線 大廻駅跡

大隅線の跡は道路になっています。

国鉄大隅線 大廻駅跡

駅跡はオレンジ学園の一部として、風景に溶け込んでいます。

国鉄大隅線 大廻駅跡

あらかじめ駅のあった場所の見当をつけて行かないと、全く駅跡とは気づきません。

大隅福山駅(おおすみふくやまえき)

国鉄大隅線 大隅福山駅 1970年代の航空写真

大隅福山駅跡は、鉄道記念公園である小廻中央公園になっています。

国鉄大隅線 大隅福山駅跡

道路が国分に向かう大隅線跡で、西側(左)が駅跡の公園です。

国鉄大隅線 大隅福山駅跡の動輪

鉄道遺構は、動輪だけです。

国鉄大隅線 大隅福山駅跡鉄道記念公園の説明板

あと、説明板に大隅線のことが触れられています。

国鉄大隅線 大隅福山駅跡から見た桜島と壺畑

桜島の景色にも驚きますが、それ以上にビックリしたのが黒酢の壺畑(つぼばたけ)です。

国鉄大隅線 大隅福山駅跡 黒酢の壺畑

敷根駅(しきねえき)

国鉄大隅線 敷根駅 1970年代の航空写真

現在は大隅線跡が県道になっていて、結構交通量が多くなっています。

国鉄大隅線 敷根駅跡

このあたりが敷根駅跡なのですが、駅跡も道路になっています。

国鉄大隅線 敷根駅跡

当然、遺構も何も鉄道の痕跡すら見つけられませんでした。

国鉄大隅線 敷根駅跡

銅田駅(どうたえき)

国鉄大隅線 銅田駅 1970年代の航空写真

銅田駅もまさに現在の県道上にピッタリ被ります。

国鉄大隅線 銅田駅跡

道路わきに下げて、鉄道記念公園がつくられています。

国鉄大隅線 銅田駅跡の鉄道記念公園

公園内には、駅名標、車掌車、踏切が残されています。

国鉄大隅線 銅田駅跡の車掌車

車掌車の車輪は外されていますが、塗装は新しく手入れされています。

国鉄大隅線 銅田駅 車掌車の内部

状態もそんなに悪くありません。

金剛寺駅(こんごうじえき)

国鉄大隅線 金剛寺駅 1970年代の航空写真

金剛寺駅は、航空写真の左上に見える、国分高等学校の最寄り駅でした。

国鉄大隅線 金剛寺駅跡

上の写真では、信号待ちの車列が駅跡で、対向車線が大隅線跡です。

国鉄大隅線 金剛寺駅跡

金剛寺駅跡は何の痕跡も残さず、完全に道路上になっています。

国鉄大隅線 金剛寺駅跡

国分駅(こくぶえき)

JR九州日豊本線 国分駅

国分駅は、鹿児島市からと宮崎駅・大分駅を経て小倉駅へ至る日豊本線の駅です。

JR九州日豊本線 国分駅

そして、大隅線の終点駅でした。

JR九州日豊本線 国分駅

大隅線が発着していたのは、0番ホームです。

JR九州日豊本線 国分駅

現在、志布志駅へ行くには、宮崎駅を経由して日南線で行くしかありません。

JR九州日豊本線 国分駅

最近でも、県内では鹿児島中央駅に次いで、乗降客数の多い駅になります。

沿革

さようなら大隅線 廃線時のプレート
1915年(大正4年)南隅軽便鉄道(なんぐうけいべんてつどう)が鹿屋~高須間を開業
1916年(大正5年)大隅鉄道へ社名変更
1923年(大正12年)串良~古江間開業
1935年(昭和10年)国有化、国鉄古江線となる
1938年(昭和13年)志布志~古江間改軌開通
1961年(昭和38年)古江~海潟間開通(旅客営業のみ)
1972年(昭和47年)海潟~国分まで開通(旅客営業のみ)
志布志~国分間が全通し大隅線となる
1982年(昭和57年)全線で貨物営業廃止
1984年(昭和59年)第2次特定地方交通線として廃止承認
1987年(昭和62年)全線廃止

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