鹿児島神宮は、鹿児島県霧島市隼人町にある神社です。
大隅国で最も社格の高い一の宮となります。
古くからの大社であり、南九州で最も高い社格も持っていました。
初詣の人気スポット
例年、鹿児島県の初詣参拝者数が特に多いのは、次の2社です。
照国神社(鹿児島市)
霧島神宮(霧島市)
どちらも正月三が日だけで35万人が参拝する、超人気神社です。
そして、2社に次ぐ20万人以上の参拝者が訪れているのが、鹿児島神宮です。
醍醐天皇の時代(皇位897年~930年)には、すでに大社としての記録があります。
南九州(日向・大隅・薩摩)では、最も高い社格を持っていた神社とされます。
ご祭神・ご利益
主祭神
天津日高彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
日本神話の山幸のことです。
豊玉比売命(とよたまひめのみこと)
日本神話でいう、山彦幸の妃です。
相殿神
- 帯中比子尊(なかたらしひこのみこと)
- 息長帯比売命(おきながらしひめのみこと)
- 品陀和気尊(ほんだわけのみこと)
- 中比売命(なかつひめのみこと)
相殿4神は、八幡神を合祀したものです。
鹿児島神社は別名「大隅正八幡宮」ともよばれます。
若返り・子宝・安産のご利益があるとされます。
歴史
ご祭神の通り、日本神話時代からある神社と考えられています。
正八幡宮とよんでいたのは、日本ではじめて八幡神をまつったからといわれています。
八幡宮の根本社については、宇佐八幡宮か鹿児島神宮か文献によって諸説あるようです。
室町時代以降、領主の島津氏による守護を受けています。
一の鳥居
大鳥居があるのは、隼人の町なかです。
鹿児島神宮はもっとずーっと先にあります。
宮内小学校
参道にあるのは霧島市立宮内小学校です。
たまたま鹿児島神宮の前に小学校ができたのではありません。
小学校は、もともとは鹿児島神宮の別当寺だった、弥勒院(みろくいん)でした。
神仏分離令により、寺院を勉強するところに変えたものです。
宮内の名前は、本当に宮内にあったからです。
二の鳥居
ここからが、現在の社地です。
鳥居の前には、すでに末社群が並んでいます。
駐車場
石段前の駐車場です。
駐車場は、がら空きのように見えます。
平時には参拝者は、社殿横の駐車場へ停めるからです。
鹿児島神宮 社殿横駐車場(第二駐車場)
利用可能時間 | 6:00~ 18:00 |
場所 | 鹿児島県霧島町隼人町内 |
石橋
ここからは、石段の参道です。
石橋の両脇には、御門神社が鎮座します。
御神馬
そして石橋の左手には、御神馬(ごしんめ)の清嵐(せいらん)がいます。
暑いので昼寝中です。
日陰で寝たほうがいいような気もしますが、熱いのがすきなのかもしれません。
初午祭と鈴かけ馬踊り
鹿児島神宮で、旧暦1月18日前後に行われている「初午祭(はつうまさい)」という催事があります。
初午祭のときも、約20万人の人出があるといわれています。
初午祭りでは、「鈴かけ馬踊り」といって、20 頭の馬に鈴をかけて、踊り手と一緒に参道を歩きます。
神符守札授与所
さらに石段を登ります。
石段を登りきると、神符守札授与所です。
おまもりやおみくじは、拝殿の横にもあります。
じんぐう茶屋
境内に組み込まれた飲食店です。
茶屋だけを目当てに行かれる方は、裏に駐車場があります。
じんぐう茶屋
御神木
樹齢800年の御神木です。
御神木の横の石段を登ると社殿です。
手水舎
拝殿
石段を登り、拝殿の中でお詣りします。
本殿
社格の高さが滲みだしています。
石體神社
鹿児島神宮には 11 の摂末社があります。
その中でも、石體(しゃくたい)神社は、鹿児島神宮の元宮といわれています。
鹿児島神宮の社外とはなりますが、北東へわずか300mの場所です。
ご祭神の宮殿・高千穂宮のあった場所で、「神代聖蹟高千穂宮址」(じんだいせいせきたかちほのみやあと)の石碑があります。
708年に、現在の鹿児島神宮に遷座し、そのあとにできたのが石體神社です。
ご祭神である豊玉比売命は、お産が軽かったため、安産の神として信仰されています。
石體(しゃくたい)神社
場所 鹿児島県霧島市隼人町内
まとめ
鹿児島神宮は、南九州で最も社格が高かった神社で、現在も風格はそのままです。
鹿児島神宮にまつわる多くの建造物や工芸品などが、文化財として指定されています。
初詣やお祭りの日は、ものすごい人出となるそうです。
普段は、心静かにお詣りができる、すばらしい神社でした。
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